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あの日の指輪を待つきみへ
2017/02/05
23:56/Sun

今、50年の時を経て・・
指輪に封じられた愛の秘密が明かされる
運命の愛は一度きりじゃない


今回は「あの日の指輪を待つきみへ」です。
監督 リチャード・アッテンボロー 。主演 シャーリー・マクレーン、ミーシャ・バートン。2008年に公開された壮大な愛のテーマのラブ・ストーリー映画です。






今回は「ガンジー」で1983年のアカデミー賞作品賞に輝いた巨匠・リチャード・アッテンボローの遺作となった、50年に渡る壮大な“愛”がテーマの感動大作映画です。
主人公の女性の若き日を演じているミーシャ・バートンのヌードシーンが有ります。
しかし、決してミーシャ・バートンのヌードを売り物にするような作品ではありません。
1941年の戦時下の激動の時代に、“生きて還ってくる”と約束して出征した新婚の夫が帰還中に事故死して、夫の死を受け入れられなかった女性が夫の指輪に込められた想いを50年後に知るというストーリーです。
人はいつまで亡くなった人のことを想い、愛し続けられるのかという壮大なテーマが含まれています。
それでは、この作品に興味のある方は、下の追記を読む、から愛の物語の一部をご覧下さい。
2008年7月19日公開
原題 Closing the Ring
製作年 2007年
製作国 イギリス・カナダ・アメリカ合作
監督 リチャード・アッテンボロー
脚本 ピーター・ウッドワード
プロデューサー ジョー・ギルバート 、 リチャード・アッテンボロー
共同プロデューサー マーティン・F・カッツ
撮影監督 ロジャー・プラット
プロダクションデザイン トム・マクラーフ
音楽 ジェフ・ダナ
編集 レスリー・ウォーカー
衣装デザイン ヘイゼル・ウェブ=クロージャー
字幕 石田泰子
配給 松竹
CAST
エセル・アン アン シャーリー・マクレーン
ジャック クリストファー・プラマー
若き日のエセル・アン ミーシャ・バートン
テディ スティーヴン・アメル
マリー ネーヴ・キャンベル
エレノア ブレンダ・フリッカー
若き日のジャック グレゴリー・スミス
チャック デイヴィッド・アルペイ
ジミー マーティン・マッキャン
クィンラン ピート・ポスルスウェイト
1時間58分 ビスタサイズ





ストーリー
1991年、ミシガン州ブラナガン。
一人の老婆・エセル・アンは、アイルランドのジミーと名乗る青年から、ベルファストの丘で、エセルとテディという名が刻まれた指輪を発見したという電話を受けた。
しかし指輪を送るという申し出をエセルは断ってしまった。
彼女は最近、夫チャックを亡くしたが、その死を淡々と受け止めていた。1人娘のマリーはそんな母を責めるが、エセルは「私の人生は21歳で終わった」と言い放った。
マリーは両親の親友ジャックに何があったのか尋ねるが、過去を掘り返すなと忠告された。
50年前の1941年、若き日のエセルは、航空学校に通うテディと恋に落ちる。テディの友人、チャックとジャックも美しい彼女に密かに惹かれていたが、テディとの友情のために2人の恋を応援した。
テディは爆撃機に搭乗する日を控え、エセルのために建てた家にチャックとジャックを招き、もし自分が戦死したらどちらかにエセルの面倒を見てほしいと願い出るのだった・・





ストーリーの紹介は以上です。
監督のリチャード・アッテンボローといえば、「ガンジー」でアカデミー賞の監督賞と一番名誉である作品賞を取った“巨匠”です。
その“巨匠”が、人生の最後の作品で遺したのがこの「あの日の指を待つきみへ」です。
巨匠と呼ばれた監督にしては、珍しく女優のヌードシーンを撮っています。
検索して、この映画の感想などを見ていますと、ミーシャ・バートンのヌードシーンは必要なかった、というのを目にしました。








僕は主人公の若き日を演じたミーシャ・バートンのヌードは必要だったと思います。
何もヌード=エロ、と捉えるのは短絡的過ぎると思いますよ。
その人を愛したのなら自然と体を求めていくものなのです。
ましてや、戦時下の時代で兵役についたとあっては、必ずしも生きて帰って来れるとは限らない。
愛している人と肉体的にも、“契る”のは、決していやらしい行為ではないでしよう。
そうやって我々も生まれてきたのです。





残念ながら、日本の“巨匠”と呼ばれた黒澤明にしても、小津安二郎にしても、現在の現役の山田洋次たちは、みんなそこの演出を避けていますよね。
それらの巨匠は、体を重ねた“事後”のシーンしか撮ってはいません。
愛しい人を抱きたい、と思う心。
それは性欲とはまた違った、ひとつの愛の完結でもあると思います。
日本の巨匠と呼ばれた監督たちは、赤裸々に人間の姿を描くことに関しては不得手な人たちが多かったと言わざるを得ないです。
ミーシャ・バートンのヌード。類もまれなく美しいです。








全裸になった自分の体の全てを見せて、
“永遠にあなたを愛するわ。この体はずっとあなたのものよ”
と言って夫となった恋人に抱かれます。
こんなことまで言われたら、男としてたまらないですよ。
それを、“いやらしい”と感じる神経がおかしいです。
愛しい人を抱きたい、愛しい人に抱かれたい。
これは人として当然湧き出てくる要求だからです。
ただ、この手のラブ・ストーリーは悲劇で過去で始まっていきます。





新婚の夫は新妻と生活するはずだった建築中のマイホームに暮らす子となく、天候不良で帰還中の爆撃機が墜落して不慮の死を遂げるのです。
機体は無残にバラバラになったことで、夫の遺体の一部すらも見つからず、妻は夫の死を受け入れてはいません。
きっと、いつか還って来てくれるだと・・・
確かにその機に夫が乗って、機体自体が山腹に激突して大破しているのですから、生きている筈がありません。
夫の遺体の一部の肉片すら見つかっていないことで、妻は夫は死んでいないのでは?と思うのですが、大破した爆撃機に搭乗していたのは紛れもない事実なのです。
その夫は、もし自分の身に何かあったら、後のことは頼むと生前に、親友二人に托していました。





それで、妻は最初に愛した夫との想いを50年間持ち続けます。
その後、夫の親友と結婚して、最初の夫の指輪が死後50年後に見つかる、というよくある話の展開です。
それが感動出来るか、どうかは見ている人それぞれだと思います。
若い時のミーシャ・バートンと50年後の老婆になったシャーリー・マクレーンの落差が激しすぎて、老婆になった現代には思い入れは沸いては来なかったですね。
それでも、ミーシャ・バートンのヌードが余りにも美し過ぎました。
そのミーシャ・バートンのヌードの美しさこそが、短くも過ぎていく人生の一瞬の美しさと儚さを表現していていました。
少しでも興味が沸いた方は、是非ともレンタル等でご覧になって下さい。

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原題 Closing the Ring
製作年 2007年
製作国 イギリス・カナダ・アメリカ合作
監督 リチャード・アッテンボロー
脚本 ピーター・ウッドワード
プロデューサー ジョー・ギルバート 、 リチャード・アッテンボロー
共同プロデューサー マーティン・F・カッツ
撮影監督 ロジャー・プラット
プロダクションデザイン トム・マクラーフ
音楽 ジェフ・ダナ
編集 レスリー・ウォーカー
衣装デザイン ヘイゼル・ウェブ=クロージャー
字幕 石田泰子
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CAST
エセル・アン アン シャーリー・マクレーン
ジャック クリストファー・プラマー
若き日のエセル・アン ミーシャ・バートン
テディ スティーヴン・アメル
マリー ネーヴ・キャンベル
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若き日のジャック グレゴリー・スミス
チャック デイヴィッド・アルペイ
ジミー マーティン・マッキャン
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ストーリー
1991年、ミシガン州ブラナガン。
一人の老婆・エセル・アンは、アイルランドのジミーと名乗る青年から、ベルファストの丘で、エセルとテディという名が刻まれた指輪を発見したという電話を受けた。
しかし指輪を送るという申し出をエセルは断ってしまった。
彼女は最近、夫チャックを亡くしたが、その死を淡々と受け止めていた。1人娘のマリーはそんな母を責めるが、エセルは「私の人生は21歳で終わった」と言い放った。
マリーは両親の親友ジャックに何があったのか尋ねるが、過去を掘り返すなと忠告された。
50年前の1941年、若き日のエセルは、航空学校に通うテディと恋に落ちる。テディの友人、チャックとジャックも美しい彼女に密かに惹かれていたが、テディとの友情のために2人の恋を応援した。
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その人を愛したのなら自然と体を求めていくものなのです。
ましてや、戦時下の時代で兵役についたとあっては、必ずしも生きて帰って来れるとは限らない。
愛している人と肉体的にも、“契る”のは、決していやらしい行為ではないでしよう。
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それは性欲とはまた違った、ひとつの愛の完結でもあると思います。
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ミーシャ・バートンのヌード。類もまれなく美しいです。








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これは人として当然湧き出てくる要求だからです。
ただ、この手のラブ・ストーリーは悲劇で過去で始まっていきます。





新婚の夫は新妻と生活するはずだった建築中のマイホームに暮らす子となく、天候不良で帰還中の爆撃機が墜落して不慮の死を遂げるのです。
機体は無残にバラバラになったことで、夫の遺体の一部すらも見つからず、妻は夫の死を受け入れてはいません。
きっと、いつか還って来てくれるだと・・・
確かにその機に夫が乗って、機体自体が山腹に激突して大破しているのですから、生きている筈がありません。
夫の遺体の一部の肉片すら見つかっていないことで、妻は夫は死んでいないのでは?と思うのですが、大破した爆撃機に搭乗していたのは紛れもない事実なのです。
その夫は、もし自分の身に何かあったら、後のことは頼むと生前に、親友二人に托していました。





それで、妻は最初に愛した夫との想いを50年間持ち続けます。
その後、夫の親友と結婚して、最初の夫の指輪が死後50年後に見つかる、というよくある話の展開です。
それが感動出来るか、どうかは見ている人それぞれだと思います。
若い時のミーシャ・バートンと50年後の老婆になったシャーリー・マクレーンの落差が激しすぎて、老婆になった現代には思い入れは沸いては来なかったですね。
それでも、ミーシャ・バートンのヌードが余りにも美し過ぎました。
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