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世紀末の詩 第10話 「20年間待った女」
2016/10/02
23:28/Sun

女は抵抗することなく男に首を絞められた。
20年間に渡る男の愛の贖罪。
そこに愛は・・あったのか。


今回は「世紀末の詩 第10話 20年間待った女」です。
1998年に日本テレビ系で放送された野島伸司・脚本のドラマシリーズです。




今回は大真面目に、“愛には決して辿り着かない恋”について語ります。
第10話は、死期が迫りつつある元・大学教授が、今の際になつて若い頃かつて愛した恋人に、もう一度会いたいと願うことから始まるストーリーです。
山崎努演じる元大教授は、学長の娘と結婚する為に、自分の子供を孕んだ恋人の首を閉めて殺そうとしています。
90年代に野島伸司が一貫して書き続けてきた、“刹那的な恋”のドラマです。
野島伸司ならではの、“そこに愛はあるのか!”の世界が展開します。
今回は思い入れが強い作品なので、いつもの倍の長さになっています。
それでは、興味のある方は、下の追記を読むから、愛には辿り着けなかった恋の終幕をご覧下さい。
1998年12月16日放送水曜22:00 - 22:54
第10話 「20年間待った女」
制作局 日本テレビ
脚本 野島伸司
演出 細野英延 、古賀倫明、 大谷太郎
プロデューサー 梅原幹
音楽:千住明
主題歌:ジョン・レノン 「LOVE」
挿入歌:ジョン・レノン 「STAND BY ME」
CAST
野亜亘:竹野内豊
百瀬夏夫(教授):山崎努
大島 武郎:杉浦直樹
牧野冬子:永島暎子
ミア:坂井真紀
羽柴里見:木村佳乃
百瀬祐香:松本恵(現・松本莉緒)
牧野千秋:吉川ひなの
スタンダードサイズ
●ドラマのサントラです。
ストーリー
野亜亘は中途採用の面接の帰り、百瀬が入院している病室に見舞いに行くと、いきなり百瀬を罵倒する見舞い客とすれ違った。
「お前は敗残者だ!哀れなもんだ」
教授に聞くと、その男・大島武郎は、同じ大学内で学長戦を戦った盟友でもある男だった。
どうやら亘は就職試験に受かったようで、教授は“この就職難の時代に、良かったなあ”と喜んだ。
教授は自分の死期が近いことがわかっていた。若い頃、同棲した恋人を亘に探してほしいと最後の願いを亘に託したのだった。
若い頃、彼のその恋人は妊娠して百瀬の子を宿していたのだが、百瀬が学長の娘と結婚する為に、その恋人を捨てたのだった。
そして病院を抜け出した教授から語られる、もうひとつの真実があった。
「俺はその人の首を両手で思い切り絞めた」
亘はその話を聞いて果然盛り上がり、何としてもでも教授にかつての恋人と再会させようと奔走するのだった・・








ストーリーの紹介は以上です。
前の第三話「狂った果実」のように録画したDVDを見ながら、台詞を追うと大変な作業になるので、今回は簡単に済ませました。
そのつど、以後のストーリーにも触れていきます。
それにしても、かつて友人だった男が親友に向かって「敗残者」というのは、いかにも野島伸司ならでのドライな表現です。
「ひとつ屋根の下」というドラマの中でも、次男役の福山雅治の台詞から、“偽善”という言葉がよく出てきました。
自分の死期が見えてきて、今一度自分が捨てた女性とひと目会いたいなどとは、よく言ったものです。
こんなの誰がどう見たって、“今更”ですよ。











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第10話 「20年間待った女」
制作局 日本テレビ
脚本 野島伸司
演出 細野英延 、古賀倫明、 大谷太郎
プロデューサー 梅原幹
音楽:千住明
主題歌:ジョン・レノン 「LOVE」
挿入歌:ジョン・レノン 「STAND BY ME」
CAST
野亜亘:竹野内豊
百瀬夏夫(教授):山崎努
大島 武郎:杉浦直樹
牧野冬子:永島暎子
ミア:坂井真紀
羽柴里見:木村佳乃
百瀬祐香:松本恵(現・松本莉緒)
牧野千秋:吉川ひなの
スタンダードサイズ
●ドラマのサントラです。
ストーリー
野亜亘は中途採用の面接の帰り、百瀬が入院している病室に見舞いに行くと、いきなり百瀬を罵倒する見舞い客とすれ違った。
「お前は敗残者だ!哀れなもんだ」
教授に聞くと、その男・大島武郎は、同じ大学内で学長戦を戦った盟友でもある男だった。
どうやら亘は就職試験に受かったようで、教授は“この就職難の時代に、良かったなあ”と喜んだ。
教授は自分の死期が近いことがわかっていた。若い頃、同棲した恋人を亘に探してほしいと最後の願いを亘に託したのだった。
若い頃、彼のその恋人は妊娠して百瀬の子を宿していたのだが、百瀬が学長の娘と結婚する為に、その恋人を捨てたのだった。
そして病院を抜け出した教授から語られる、もうひとつの真実があった。
「俺はその人の首を両手で思い切り絞めた」
亘はその話を聞いて果然盛り上がり、何としてもでも教授にかつての恋人と再会させようと奔走するのだった・・








ストーリーの紹介は以上です。
前の第三話「狂った果実」のように録画したDVDを見ながら、台詞を追うと大変な作業になるので、今回は簡単に済ませました。
そのつど、以後のストーリーにも触れていきます。
それにしても、かつて友人だった男が親友に向かって「敗残者」というのは、いかにも野島伸司ならでのドライな表現です。
「ひとつ屋根の下」というドラマの中でも、次男役の福山雅治の台詞から、“偽善”という言葉がよく出てきました。
自分の死期が見えてきて、今一度自分が捨てた女性とひと目会いたいなどとは、よく言ったものです。
こんなの誰がどう見たって、“今更”ですよ。











まあ、男というものはそうしたものなのかもしれません。
女性は新しい恋に出会えば、過去の男のことはスッパリ忘れると言いますが、男というものはいつまでもかつて愛した人のことは憶えているものなのですよ。
とはいつても、時間の経過と共に、人の気持ちも変わっていきます。ずっと同じ気持ちで人を愛し続けることは、まず有り得ないと思います。
どんなに美しい人だって、年老いていずれは枯れる日がやって来ます。
生きている限り時間は皆、平等に流れていますから、年を取らないということは不可能ですからね。
このドラマシリーズで一貫して語られている、“決して愛には辿り着かない、それが恋”。
このドラマで描かれる恋とは、常に一方通行で、愛することはあっても、相手に愛されることはない。
それがつまりは、“恋”というわけです。




人を好きになる、というのは激烈な痛みを伴います。
“もう、あんな痛い想いは二度しない。二度と人なんて好きになんかならない”
みんな、そう言って・・結局は、同じ過ちを何度も繰り返してしまうのです。
それも生きている限り逃れられない“人しての煩悩”なのかもしれませんね。
意識して、スイッチなんか入れたつもりなんかないのですよ。それがいつの間にかOFFからONに切り替わっている。
そんなの、一時的な気の迷い、でしかないだろう、と理論では判っていても、感情が“心”を超えてしまっているわけです。








そういう意味では女性の方がたくましいのでしょうね。スパツと切り捨てていくでしよう。
まあ、それも人にもよるかと思いますよ。
この劇中で、男は別れ話を切り出したものの、それを拒否され逆上して、恋人の首を思い切り絞めています。
女性の方は一切の抵抗はしていません。
むしろ、“あなたに殺されるくらいなら、それで本望だ”みたいに・・
それで男は怖くなって、絞めた手に力が入らなくなり、逃げ出しているのです。
何の温かい別れの言葉を告げないで、ただ恋人の前から逃げて終わっているのです。








そんな酷い別れ方しといて、自分の死期が近いから、もう一度会いたい。そして過去のことを謝りたい。
何を馬鹿な・・ですよ。今更、相手が許す筈がないのですよ。
愛していた、というのは過去のことで、そんな愛など残っている筈もないのです。
案の定、身近なところに知り合いがいて、教授の元恋人に辿り着けるわけですが・・
当然の反応として、会うことを拒否されます。
“愛なんてものは、もうなかったわ”
いや、20年前ならあったでしょう。20年のという歳月が人の気持ちを変えさせたのです。








ところがです。その別れた女性には子供がいた。
当然、堕ろしていたとばかり思うじゃないですか。
それが、かつて愛した男の子供を生んで育てたのです。
それも、すぐ身近にいたのです。吉川ひなの演じる女の子が、教授と間に出来た子供だったのです。








何故、その子が教授の子供かと判ったかというと、若い頃、夜店で勝った貝殻のペンダントを恋人に渡していて、吉川ひなのがぶら下げている貝殻こそが、昔恋人にあげたものだったのです。
もしも、永島暎子演じる冬子という女性が教授に対しての“愛のかけら”も無くしていたとしたら・・
そんなものはとっくに捨てていたと思います。
何故に、娘にそんな昔の恋人からもらったチープなものを身につけさせていたのか。
それは、やはり、そこにまだ“微かな愛が残っていた”からなのです。








竹之内豊は、気づいていました。
“繋がらない季節の女の子”それが彼に恋する、吉川ひなの演じる“千秋”だったのです。
“幾千もの夏夫(教授)と冬子を繋いでいく”・・それが、“千秋”という女の子だったです。
車の中で、杉浦直樹の親友が叫びます。
“愛してたんだ。今だって、そうさ!”
それはどうだか判らない。しかし、好きだった男の子供を生み一人で育てたことには間違いはない。








放送当時、リアルタイムでこのドラマを見ていました。
丁度、あの頃も自分自身も恋に悩んでいた時期でした。
思い切り、このシーンで泣けて泣けて仕方ありませんでした。
今でも、そうです。

所詮は架空の絵空事の世界です。こんな“愛の世界”なんてあるはずがない。
そう思っていても見る度に何度も、涙が出てきます。
人は、この世に生きている限り、“愛する”という煩悩からは逃れられないのかもしれません。
それが、例え短い一瞬の、つかの間の“幻の恋”だった・・としてもです。


女性は新しい恋に出会えば、過去の男のことはスッパリ忘れると言いますが、男というものはいつまでもかつて愛した人のことは憶えているものなのですよ。
とはいつても、時間の経過と共に、人の気持ちも変わっていきます。ずっと同じ気持ちで人を愛し続けることは、まず有り得ないと思います。
どんなに美しい人だって、年老いていずれは枯れる日がやって来ます。
生きている限り時間は皆、平等に流れていますから、年を取らないということは不可能ですからね。
このドラマシリーズで一貫して語られている、“決して愛には辿り着かない、それが恋”。
このドラマで描かれる恋とは、常に一方通行で、愛することはあっても、相手に愛されることはない。
それがつまりは、“恋”というわけです。




人を好きになる、というのは激烈な痛みを伴います。
“もう、あんな痛い想いは二度しない。二度と人なんて好きになんかならない”
みんな、そう言って・・結局は、同じ過ちを何度も繰り返してしまうのです。
それも生きている限り逃れられない“人しての煩悩”なのかもしれませんね。
意識して、スイッチなんか入れたつもりなんかないのですよ。それがいつの間にかOFFからONに切り替わっている。
そんなの、一時的な気の迷い、でしかないだろう、と理論では判っていても、感情が“心”を超えてしまっているわけです。








そういう意味では女性の方がたくましいのでしょうね。スパツと切り捨てていくでしよう。
まあ、それも人にもよるかと思いますよ。
この劇中で、男は別れ話を切り出したものの、それを拒否され逆上して、恋人の首を思い切り絞めています。
女性の方は一切の抵抗はしていません。
むしろ、“あなたに殺されるくらいなら、それで本望だ”みたいに・・
それで男は怖くなって、絞めた手に力が入らなくなり、逃げ出しているのです。
何の温かい別れの言葉を告げないで、ただ恋人の前から逃げて終わっているのです。








そんな酷い別れ方しといて、自分の死期が近いから、もう一度会いたい。そして過去のことを謝りたい。
何を馬鹿な・・ですよ。今更、相手が許す筈がないのですよ。
愛していた、というのは過去のことで、そんな愛など残っている筈もないのです。
案の定、身近なところに知り合いがいて、教授の元恋人に辿り着けるわけですが・・
当然の反応として、会うことを拒否されます。
“愛なんてものは、もうなかったわ”
いや、20年前ならあったでしょう。20年のという歳月が人の気持ちを変えさせたのです。








ところがです。その別れた女性には子供がいた。
当然、堕ろしていたとばかり思うじゃないですか。
それが、かつて愛した男の子供を生んで育てたのです。
それも、すぐ身近にいたのです。吉川ひなの演じる女の子が、教授と間に出来た子供だったのです。








何故、その子が教授の子供かと判ったかというと、若い頃、夜店で勝った貝殻のペンダントを恋人に渡していて、吉川ひなのがぶら下げている貝殻こそが、昔恋人にあげたものだったのです。
もしも、永島暎子演じる冬子という女性が教授に対しての“愛のかけら”も無くしていたとしたら・・
そんなものはとっくに捨てていたと思います。
何故に、娘にそんな昔の恋人からもらったチープなものを身につけさせていたのか。
それは、やはり、そこにまだ“微かな愛が残っていた”からなのです。








竹之内豊は、気づいていました。
“繋がらない季節の女の子”それが彼に恋する、吉川ひなの演じる“千秋”だったのです。
“幾千もの夏夫(教授)と冬子を繋いでいく”・・それが、“千秋”という女の子だったです。
車の中で、杉浦直樹の親友が叫びます。
“愛してたんだ。今だって、そうさ!”
それはどうだか判らない。しかし、好きだった男の子供を生み一人で育てたことには間違いはない。








放送当時、リアルタイムでこのドラマを見ていました。
丁度、あの頃も自分自身も恋に悩んでいた時期でした。
思い切り、このシーンで泣けて泣けて仕方ありませんでした。
今でも、そうです。


所詮は架空の絵空事の世界です。こんな“愛の世界”なんてあるはずがない。
そう思っていても見る度に何度も、涙が出てきます。
人は、この世に生きている限り、“愛する”という煩悩からは逃れられないのかもしれません。
それが、例え短い一瞬の、つかの間の“幻の恋”だった・・としてもです。


「世紀末の詩」の中で、このエピソードが一番感動的で好きです。
野島伸司が一貫して描き続けてきた、“そこに愛はあるのか!”の世界。
ある意味、このシリーズは野島伸司の集大成のドラマのような気がしてならないのです。。
残念ながら、まだ未DVD化はされていません。早くDVD化されて、レンタル解禁になってほしいものですね。

野島伸司が一貫して描き続けてきた、“そこに愛はあるのか!”の世界。
ある意味、このシリーズは野島伸司の集大成のドラマのような気がしてならないのです。。
残念ながら、まだ未DVD化はされていません。早くDVD化されて、レンタル解禁になってほしいものですね。

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by. 名無し
木村佳乃もこの時代は可愛くて美人だったのにな、今は老けちゃって…。
今は顔に合わせてか、意地悪な役とか高飛車な役が増えちゃったな~残念。
今は顔に合わせてか、意地悪な役とか高飛車な役が増えちゃったな~残念。
2016.10.03
(16:32)
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URL |
EDIT
by. ザグレブ
名前書くの忘れました、さっき投稿したのは自分ですm(__)m
2016.10.03
(16:36)
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EDIT
もう東山夫人ですからね。 by. じんのすけ
> 木村佳乃もこの時代は可愛くて美人だったのにな、今は老けちゃって…。
>
> 今は顔に合わせてか、意地悪な役とか高飛車な役が増えちゃったな~残念。
最近の木村佳乃は、余り見る機会が少なくなりましたね。
そんな役をやっているとは、やはり年を取ると自然とそういう役が多くなりますね。
第一回では山崎努に思い切り、木村佳乃は着衣からでしたけど、胸を揉まれていましたよね。
>
> 今は顔に合わせてか、意地悪な役とか高飛車な役が増えちゃったな~残念。
最近の木村佳乃は、余り見る機会が少なくなりましたね。
そんな役をやっているとは、やはり年を取ると自然とそういう役が多くなりますね。
第一回では山崎努に思い切り、木村佳乃は着衣からでしたけど、胸を揉まれていましたよね。
2016.10.03
(22:16)
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ザグレブさんは常連さんですからね by. じんのすけ
> 名前書くの忘れました、さっき投稿したのは自分ですm(__)m
まあ、書き忘れることはよくあることですから、気にしないで下さい。
そもそも名無しで投稿出来てしまうシステムにも問題があるのですから。
まあ、書き忘れることはよくあることですから、気にしないで下さい。
そもそも名無しで投稿出来てしまうシステムにも問題があるのですから。
2016.10.03
(22:18)
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