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丑三つの村 Blu-ray版 その壱
2016/03/31
00:29/Thu

日本映画、伝説の危険な映画。
村一番の秀才が突然狂って殺人鬼と化した!
皆様方よ。今で見ておれで御座居ますよ・・。


今回は「丑三つの村」(Blu-ray版)です。
監督 田中登。主演 古尾谷雅人。共演に田中美佐子、池波志乃、五月みどり、大場久美子、夏八木勲。






久しぶりにカルト映画、そして危険な日本映画の旧作です。
横溝正史の小説「八つ墓村」のモデルなった昭和初期に実際に岡山県で起こった猟奇殺人事件“津山三十人殺し”をモチーフに西村望の原作を映画化した作品です。
本編は、田中美佐子、池波志乃、五月みどりらの女優陣の濃厚な濡れ場シーンの競艶が話題になりました。
それよりも、濡れ場シーンのエロスを問題にされたのではなく、残酷過ぎるという理由で当時の映倫からポルノ映画以外での、初の“成人映画指定”を受けた、いわくつきの作品です。
今回はBlu-ray版ですので、クリアーな画像です。
それでは、本作品に興味がある方は、下の追記を読む、から作品の購入の参考にして下さい。
1983年1月15日松竹洋画系公開
監督 - 田中登
製作 - 奥山和由
脚本 - 西岡琢也
撮影 - 丸山恵司
SFX - トビー門口
音楽 - 笹路正徳
製作 - 松竹映像、松竹富士
配給 - 富士映画
●予告編
CAST
犬丸継男・・・古尾谷雅人
赤木やすよ・・田中美佐子
十坂えり子・・池波志乃
犬丸はん・・・原泉
赤木勇造・・・夏八木勲
赤木忠次・・・石橋蓮司
赤松巡査・・・山谷初男
中山哲司・・・新井康弘
出征兵士・・・ビートきよし
竹中和子・・・大場久美子
赤木ミオコ・・五月みどり
1時間46分 ビスタサイズ








ストーリー
まだ戦時下の昭和13年。山あいの或る村で、村一番の秀才と誉め称えられていた犬丸継男は、国の為に戦うこそが、男としての生き方と信じていた。
ところが、肺結核を理由に戦場に行けない体と診断されてからは、村人たちにつまはじきにされた。
継男はそんな閉鎖的な村のしきたりから、自分が殺されるという強迫観念のようなものが芽生え始め、狂気に駆り立てられていた。
やがて、精神的に追い詰められた継男は、二本の懐中電灯を鉢巻に差し、改造銃を手に無二日とに襲い掛かった。
ここに大量殺戮の火蓋が切って落とされたのだった・・





ストーリーの紹介は以上です。
この映画、1983年の公開初日に丸の内松竹で見ています。
現在の有楽町マリオンが出来る前にあった地下の松竹洋画系の劇場です。
都内では、新宿三丁目の交差点近くにあつた新宿京王のたった二館での上映でした。
それは、やはり公開前に映倫から“成人映画指定”受けて、成人映画として公開となったことで興行も縮小せざるを得なくなったのだと思います。
最初は女優陣たちの濡れ場シーンがたくさんあることから、成人指定受けたのかと思いましたが、当時の日本映画でも、この程度の濡れ場シーンは一般映画でもよくある描写でしたからね。








残酷過ぎると言ってもですね・・・
殺戮シーンは、“撃つ、斬る、突く”の三パターンで至って平凡なのです。
切断された生首が飛ぶなんてシーンは一切ありません。
まず最初に主人公・犬丸継男は祖母の首を斧で一刀両断しますが、切り落とされた祖母の首が映るシーンはありません。
当時、毒舌映画評論家のおすぎは、“この程度で成人指定する映倫は頭、おかしいのよ”と言ってましたが、まさにその通りです。








そんなこと言ったら、同じ“津山三十人殺し”をモデルにした「八つ墓村」なんて、落ち武者の生首が飛んだり、村人殺戮のシーンで赤ん坊を無惨に串刺しにしたりしているのですが・・
あちらの方は一切映倫からのお咎め無しですからね。
ところで、この映画は公開当時のお目当ては田中美佐子でした。初日舞台挨拶も着ていました、全身白のミニスカートで来ていました。
舞台挨拶が終わって、入り口に立つていた男性から握手を求められて田中美佐子はそれに応じていたのを今でも憶えています。
その数年後にある事で、この映画の公開時の砂岡事務所時代の田中美佐子の元マネージャーと知り合いになりました。(この時点で田中美佐子は他のプロダクションに移籍して、その人から離れていました)
その田中美佐子の元マネージャーによれば、砂岡事務所から松竹に企画を持ち込んだそうです。
エンドロールにも協力・砂岡事務所とありました。







実際に公開当時、古尾谷雅人と田中美佐子のマネージャーは同じ人でしたからね。
現場では、田中美佐子は古尾谷雅人に軽く殴られたことがあるそうです。
まあ、そのマネージャーは“女優はわがままでいい”というように田中美佐子に教育したらしく、それが先輩でもある古尾谷雅人がカチンと来たのかもしれません。
今では田中美佐子を知る人も限られてきているようです。
40年代半ばのカメラ転売の師匠は田中美佐子を知っていましたが、30代前後の人はものの見事に田中美佐子は知らないと言います。
現在はたまにしかテレビに、それもバラエティーばかりしか田中美佐子は出ててませんから、忘れ去れた存在になっているのかもしれません。
若い頃の田中美佐子を知る者としては、50代後半に差し掛かった今の田中美佐子を見て、“随分とおばちゃんになったなあ・・”と思いますが、見てきた自分も年を取ったわけです。(^∇^)



田中美佐子、この映画の若い頃は髪が腰の近くまであった“長い髪の美少女(?)”でした。
それが1985年のTBSドラマ「お坊チャマにわかるまい!」あたりから、長い髪をバッサリ切って、今の髪型にしました。
この女優さんとは若い頃、まあ語りつくせないことがありましたが、話が長くなるので止めておきます。(勿論、個人的にどうのこうのというのではありませんけどね)
この映画の熱演が認められて、翌年の第5回ヨコハマ映画祭の助演女優賞を田中美佐子は受賞しています。
それは当時の対抗馬であった「竜二」の永島瑛子が主演女優賞になったからです。
元々その映画では永島瑛子は主演の金子竜二の奥さん役ですから、紛れもなく助演でした。それがヨコハマでは、主演扱いになったのです。
もし、永島瑛子が従来通りの助演扱いだったら、田中美佐子には勝ち目はまるでありませんでした。




また、映画の時代背景に戻りますが、昭和13年といえば戦時下でした。
あの当時の男子は、戦争に行って、お国の為に戦死することが、“男として生まれたる本懐”なのです。
主人公の犬丸継男は、健康診断で肺結核と診断されて戦争に行けない体になったのです。
それは“男として”みなされなくなったも同然で、今まで村一番の秀才と持てはやされたのが一転、村の人たちから疎遠にされたのです。
逆に村八分にされて、“自分も近いうちに集団リンチに遭い、そのうち殺される”という脅迫観念から、村人三十人を殺戮する凶行に走らせたようです。



今でも、初日舞台挨拶の古尾谷雅人のスピーチが鮮烈に思い出されます。
“これは青春映画です!”
今は亡き古尾谷雅人は力説していた言葉です。
その古尾谷雅人は、この映画から20年後、45歳で自宅で首吊り自殺して、この世を去っています。
いい感じで年を取ってこれからという時に、どんな事情があるにせよ、自らで自分の命を絶つなんて、馬鹿げていますよ。
その悲報を聞き、デビューから古尾谷雅人を育てた元マネージャーは悲痛の想いだったでしょうね・・・



戦時下の昭和という狂った時代だからこそ、起こりえた事件とも言えるでしょう。
公開当時は、期待したほどでもなかったような感がありましたが、何十年かぶりにBlu-rayのクリアーな映像で見て、やはりカルトと呼ぶに相応しい作品だと思いました。
暗い夜のシーンが多いので、Blu-rayの映像効果絶大でした。
興味が沸いた方は、是非Blu-ray版のご購入を検討下さい。
※続きは限定会員記事となります。企業の年度末で本業も忙しいので、その弐のアップは4/1になる予定です。

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監督 - 田中登
製作 - 奥山和由
脚本 - 西岡琢也
撮影 - 丸山恵司
SFX - トビー門口
音楽 - 笹路正徳
製作 - 松竹映像、松竹富士
配給 - 富士映画
●予告編
CAST
犬丸継男・・・古尾谷雅人
赤木やすよ・・田中美佐子
十坂えり子・・池波志乃
犬丸はん・・・原泉
赤木勇造・・・夏八木勲
赤木忠次・・・石橋蓮司
赤松巡査・・・山谷初男
中山哲司・・・新井康弘
出征兵士・・・ビートきよし
竹中和子・・・大場久美子
赤木ミオコ・・五月みどり
1時間46分 ビスタサイズ








ストーリー
まだ戦時下の昭和13年。山あいの或る村で、村一番の秀才と誉め称えられていた犬丸継男は、国の為に戦うこそが、男としての生き方と信じていた。
ところが、肺結核を理由に戦場に行けない体と診断されてからは、村人たちにつまはじきにされた。
継男はそんな閉鎖的な村のしきたりから、自分が殺されるという強迫観念のようなものが芽生え始め、狂気に駆り立てられていた。
やがて、精神的に追い詰められた継男は、二本の懐中電灯を鉢巻に差し、改造銃を手に無二日とに襲い掛かった。
ここに大量殺戮の火蓋が切って落とされたのだった・・





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この映画、1983年の公開初日に丸の内松竹で見ています。
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残酷過ぎると言ってもですね・・・
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まず最初に主人公・犬丸継男は祖母の首を斧で一刀両断しますが、切り落とされた祖母の首が映るシーンはありません。
当時、毒舌映画評論家のおすぎは、“この程度で成人指定する映倫は頭、おかしいのよ”と言ってましたが、まさにその通りです。








そんなこと言ったら、同じ“津山三十人殺し”をモデルにした「八つ墓村」なんて、落ち武者の生首が飛んだり、村人殺戮のシーンで赤ん坊を無惨に串刺しにしたりしているのですが・・
あちらの方は一切映倫からのお咎め無しですからね。
ところで、この映画は公開当時のお目当ては田中美佐子でした。初日舞台挨拶も着ていました、全身白のミニスカートで来ていました。
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その数年後にある事で、この映画の公開時の砂岡事務所時代の田中美佐子の元マネージャーと知り合いになりました。(この時点で田中美佐子は他のプロダクションに移籍して、その人から離れていました)
その田中美佐子の元マネージャーによれば、砂岡事務所から松竹に企画を持ち込んだそうです。
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現場では、田中美佐子は古尾谷雅人に軽く殴られたことがあるそうです。
まあ、そのマネージャーは“女優はわがままでいい”というように田中美佐子に教育したらしく、それが先輩でもある古尾谷雅人がカチンと来たのかもしれません。
今では田中美佐子を知る人も限られてきているようです。
40年代半ばのカメラ転売の師匠は田中美佐子を知っていましたが、30代前後の人はものの見事に田中美佐子は知らないと言います。
現在はたまにしかテレビに、それもバラエティーばかりしか田中美佐子は出ててませんから、忘れ去れた存在になっているのかもしれません。
若い頃の田中美佐子を知る者としては、50代後半に差し掛かった今の田中美佐子を見て、“随分とおばちゃんになったなあ・・”と思いますが、見てきた自分も年を取ったわけです。(^∇^)



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今は亡き古尾谷雅人は力説していた言葉です。
その古尾谷雅人は、この映画から20年後、45歳で自宅で首吊り自殺して、この世を去っています。
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古尾谷雅人 by. ニシキ
この映画は古尾谷雅人が出演しているので今となっては貴重な作品ですね。個人的にはもっと活躍してほしかったです。田中美佐子はドラマ「予備校ブギ」などに出ていたのを覚えていますが、色っぽい女優という印象が強いです。
2016.03.31
(12:28)
|
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EDIT
今、古尾谷雅人が生きていれば・・ by. じんのすけ
> この映画は古尾谷雅人が出演しているので今となっては貴重な作品ですね。個人的にはもっと活躍してほしかったです。田中美佐子はドラマ「予備校ブギ」などに出ていたのを覚えていますが、色っぽい女優という印象が強いです。
今、古尾谷雅人が生きていれば、彼はどんな立ち位置の男優になっていたのでしようか。
70年代後半“古尾谷康雅”の名前でデビュー当時はにっかつの「人妻集団暴行致死事件」で注目を浴び、1980年の「ヒポクラテス」ではヨコハマ映画祭の主演男優賞、10年御も同映画祭で「宇宙の法則」で二度目の主演男優賞を受賞しています。
「金田一少年の事件簿」での刑事“おっちゃん”役が、渋くていい味出していただけに、彼の自殺は凄く残念でした。
田中美佐子が色気があったのは、結婚して間もない1996年の「Age 恋しくて」(フジ)ぐらいまでですね。
昔は芝居がもっと出来る人だったのに、コメディーやるようになってから、余りいいとは思えなくなりました。
昔は、業界内にもファンがたくさんいたようですよ。
今、古尾谷雅人が生きていれば、彼はどんな立ち位置の男優になっていたのでしようか。
70年代後半“古尾谷康雅”の名前でデビュー当時はにっかつの「人妻集団暴行致死事件」で注目を浴び、1980年の「ヒポクラテス」ではヨコハマ映画祭の主演男優賞、10年御も同映画祭で「宇宙の法則」で二度目の主演男優賞を受賞しています。
「金田一少年の事件簿」での刑事“おっちゃん”役が、渋くていい味出していただけに、彼の自殺は凄く残念でした。
田中美佐子が色気があったのは、結婚して間もない1996年の「Age 恋しくて」(フジ)ぐらいまでですね。
昔は芝居がもっと出来る人だったのに、コメディーやるようになってから、余りいいとは思えなくなりました。
昔は、業界内にもファンがたくさんいたようですよ。
2016.03.31
(19:39)
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