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KOYA ~澄賢房覚え書~ (名取裕子・ヌード作品)
2013/12/13
22:31/Fri


ストイックはエロチック
美術史家が探る高野山の破戒僧の愛欲
その煩悩は果たして罪なのか!?


今回は「KOYA ~澄賢房覚え書~」です。
監督 村野鐵太郎、主演 名取裕子。1993年に公開された日本映画です。主人公・美術史家の女性が女犯の罪で高野山を追放された破戒僧の足跡を探る物語です。






今回の映画は、女人禁制の高野山の僧において、“その煩悩は罪なのか”という男性には実に興味深いテーマです。
主演の名取裕子は、高野山を追われた僧の謎を追う美術史家と、その僧を惑わす遊女の二役を演じています。
何といっても当時36歳の女盛りの時期で色気たっぷりの名取裕子のヌードが見せ場です。
11.19PM09:33、名取裕子の別映画のヌードキャプ画像その二をアップしました!!
それでは、興味のある方は下の追記を読む、からご覧下さい。
1993年12月4日公開
監督 村野鐵太郎
脚本 高山由紀子
原作 井上靖
製作 末吉博彦、高山由紀子、村野鐵太郎
プロデューサー 鈴木政信
撮影 矢田行男
美術 神田明良
音楽 埜邑紀見男
配給 ヒーロー
秋月洋子・おれん(二役)・・・・・名取裕子
澄賢・・・隆大介
照栄・・貞永敏
光隠・・・須藤正裕
洋子の母・・川口敦子
博労の親分・・井川比佐志
吉村・・・峰岸徹
1時間40分 ビスタサイズ






ストーリー
高野山の宿坊の蓮王院の宿で、美術史家の秋山洋子は就寝中にうなされていました。
何やら僧侶の経をとなえる声が寝ている洋子に聞こえてきたのです。やがて祥子は目を醒ましてしまい、体を起こしました。洋子は布団から出て戸を開けて外を見ました。
洋子 この時のことを思えば、ひどく寂しい想いが天から落ちてきて、遅い気だった人生の・・・というより、宇宙のさびしさに足をすくわれた。
それは洋子の夢の中の世界ではなく、やがて現実に振りかかってくる前兆なようなものでした。
洋子は、『女人禁制と女犯』をテーマにした論文を書くために高野山に来ていました。
そして、高野山にある真言宗の円通律寺の写真をを撮っている時、寺の若い僧の光陰が飛び出て来て、撮影禁止を厳しく言い渡されてしまいます。






洋子 仏教美術を研究しています。こちらの御本尊は釈迦如来とお聞きして・・
洋子はその僧・光陰に自分の名詞を差し出しますが、受け取ってはもらえません。
光陰 一般公開はしていません。
洋子 あの、こちらは今も女人禁制とお聞きしました。今、現代という時代の中で女人禁制というのしどういうものかと・・
光陰 君はそれでも学者のつもり。帰れ。
洋子は、全く相手にもしてもらえませんでした。
洋子はそれから高野山大学の旧知の教授・吉村を訪ねました。その時、吉村は授業があるからと、洋子とは長く話をしている時間はないようでした。
洋子は大学の図書館で、高野山にまつわる資料を見て回るうちに、何故だか洋子の手元に、その昔に高野山を追われた、ある僧の日記の書みたいなものが出てきました。
それこそが、これから陽子が探ろうとしていた“澄賢房覚え書”なのでした。まるで陽子に探してもらいたいかのように、その覚え書きは陽子の手に舞い降りてきたのです。
洋子は、遠い昔に高野山で女犯の罪で高野山を追われた澄賢という破戒僧について調べていくうちに、やがて死してもうこの世には存在しない澄賢の亡霊が彼女の前に現れていくのでした・・・





ストーリーの紹介は以上です。
この映画、1993年の公開当時に新宿の映画館で見ています。その時上映していたのは、新宿ミラノ会館の隣にあった新宿シネパトスです。
その後、新宿ジョイシネマ3と名前を変え、2011年5月31日に歌舞伎町の再開発工事の影響で閉館してしまいました。
今では、歌舞伎町で残っている映画館は、新宿ミラノ会館の四館のみとなっています。ここもいずれは歌舞伎町から撤退するという噂がありましたが、まだ残っているのですね。
この映画の公開当時、お目当ては当然、名取裕子のヌードです。若い頃の名取裕子は、かなりの好みの女優でしたからね。





この映画は名取裕子を主人公にした話ですが、もう一人、かつて“女犯の罪”で高野山を追われて、破戒僧になった男・澄賢を追った物語でもあります。
女犯、といっても、嫌がる女性を犯したわけではなく、ただ寺の僧が遊女の誘いに乗って性交をしただけです。
古来から高野山では女人禁制=女性との性行為も禁ずるという厳しい戒律が今でもあるそうです。
それを破ったから、寺を破門されて高野山を追われたということです。合意の上での性交でも、高野山の僧たちにとっては“女犯の罪”になるそうです。
でも、その禁制を破った僧は女性の方から誘われたからエッチしただけです。何も男の方から迫ったわけではありません。
ましてや、名取裕子のようなお色気たっぷりのいい女が、着物の裾をまくり、白い足が見せつけて、“さあ、いらっしゃぁ~い”と据え膳してくれたら・・・
当然、男ならその据え膳、“ゴチになりますっ!”が、ごくごく当たり前のことですよ。
ただ、高野山の僧にはそれが許されないということらしいです。





つーことは、一度高野山の寺に入ったらも死ぬまで童貞のままでいなきゃいけないってこと・・・
いやあ、それは男にとっては地獄だわっ!女性と交わっていけないってのは、何の因果があるのでしよう。
男として生まれたなら、性欲はなくてはならないものです。だって性欲があったからこそ人類は繁栄してきたのではないのでしようか。
それが女性と交わることが不浄とされる意味がまるでよくわからないですね。まあ、古来、高野山の僧はそうした禁制があると言い伝えされてきて、我々もそうしたものと認識させられましたけどね。
美しくて魅力的が女性がいたら、抱きたいと願う“煩悩”は男なら誰しも持っているものです。





それなのに、人として持って然るべきの本能を真っ向から否定してしまう、高野山の宗教って一体、何の意味があるのでしよう。
驚くべきことに、女人禁制は現代にも高野山には生きているようで・・それじゃ今の若い人は誰も高野山の僧だけにはなりたくないでしょう。
つまりはその禁制の戒律は、後継者不足とつながってきてしまうような気がします。
この映画は、悩ましい“煩悩”に負けて高野山を追われた僧・澄賢と、それを追う美術史家との物語でも、後半に澄賢が亡霊となって名取裕子の前に現れます。
このヘンがいかにも作り物の世界ですが、そういう現実にはない盛り上がりがないと、映画としては成立しないのでしょう。
むしろ亡霊となってこの世を彷徨っている澄賢が、美術史家の名取裕子を呼び寄せた導入となっています。
そう見ると、ちょっとホラーぽい話です。
主人公の名取裕子は、僧侶の亡霊にたぐり寄せられていますからね。かといって、その僧の亡霊が名取裕子に憑依するというわけでもありません。





洋子はその僧・光陰に自分の名詞を差し出しますが、受け取ってはもらえません。
光陰 一般公開はしていません。
洋子 あの、こちらは今も女人禁制とお聞きしました。今、現代という時代の中で女人禁制というのしどういうものかと・・
光陰 君はそれでも学者のつもり。帰れ。
洋子は、全く相手にもしてもらえませんでした。
洋子はそれから高野山大学の旧知の教授・吉村を訪ねました。その時、吉村は授業があるからと、洋子とは長く話をしている時間はないようでした。
洋子は大学の図書館で、高野山にまつわる資料を見て回るうちに、何故だか洋子の手元に、その昔に高野山を追われた、ある僧の日記の書みたいなものが出てきました。
それこそが、これから陽子が探ろうとしていた“澄賢房覚え書”なのでした。まるで陽子に探してもらいたいかのように、その覚え書きは陽子の手に舞い降りてきたのです。
洋子は、遠い昔に高野山で女犯の罪で高野山を追われた澄賢という破戒僧について調べていくうちに、やがて死してもうこの世には存在しない澄賢の亡霊が彼女の前に現れていくのでした・・・






ストーリーの紹介は以上です。
この映画、1993年の公開当時に新宿の映画館で見ています。その時上映していたのは、新宿ミラノ会館の隣にあった新宿シネパトスです。
その後、新宿ジョイシネマ3と名前を変え、2011年5月31日に歌舞伎町の再開発工事の影響で閉館してしまいました。
今では、歌舞伎町で残っている映画館は、新宿ミラノ会館の四館のみとなっています。ここもいずれは歌舞伎町から撤退するという噂がありましたが、まだ残っているのですね。
この映画の公開当時、お目当ては当然、名取裕子のヌードです。若い頃の名取裕子は、かなりの好みの女優でしたからね。






この映画は名取裕子を主人公にした話ですが、もう一人、かつて“女犯の罪”で高野山を追われて、破戒僧になった男・澄賢を追った物語でもあります。
女犯、といっても、嫌がる女性を犯したわけではなく、ただ寺の僧が遊女の誘いに乗って性交をしただけです。
古来から高野山では女人禁制=女性との性行為も禁ずるという厳しい戒律が今でもあるそうです。
それを破ったから、寺を破門されて高野山を追われたということです。合意の上での性交でも、高野山の僧たちにとっては“女犯の罪”になるそうです。
でも、その禁制を破った僧は女性の方から誘われたからエッチしただけです。何も男の方から迫ったわけではありません。
ましてや、名取裕子のようなお色気たっぷりのいい女が、着物の裾をまくり、白い足が見せつけて、“さあ、いらっしゃぁ~い”と据え膳してくれたら・・・
当然、男ならその据え膳、“ゴチになりますっ!”が、ごくごく当たり前のことですよ。
ただ、高野山の僧にはそれが許されないということらしいです。






つーことは、一度高野山の寺に入ったらも死ぬまで童貞のままでいなきゃいけないってこと・・・
いやあ、それは男にとっては地獄だわっ!女性と交わっていけないってのは、何の因果があるのでしよう。
男として生まれたなら、性欲はなくてはならないものです。だって性欲があったからこそ人類は繁栄してきたのではないのでしようか。
それが女性と交わることが不浄とされる意味がまるでよくわからないですね。まあ、古来、高野山の僧はそうした禁制があると言い伝えされてきて、我々もそうしたものと認識させられましたけどね。
美しくて魅力的が女性がいたら、抱きたいと願う“煩悩”は男なら誰しも持っているものです。






それなのに、人として持って然るべきの本能を真っ向から否定してしまう、高野山の宗教って一体、何の意味があるのでしよう。
驚くべきことに、女人禁制は現代にも高野山には生きているようで・・それじゃ今の若い人は誰も高野山の僧だけにはなりたくないでしょう。
つまりはその禁制の戒律は、後継者不足とつながってきてしまうような気がします。
この映画は、悩ましい“煩悩”に負けて高野山を追われた僧・澄賢と、それを追う美術史家との物語でも、後半に澄賢が亡霊となって名取裕子の前に現れます。
このヘンがいかにも作り物の世界ですが、そういう現実にはない盛り上がりがないと、映画としては成立しないのでしょう。
むしろ亡霊となってこの世を彷徨っている澄賢が、美術史家の名取裕子を呼び寄せた導入となっています。
そう見ると、ちょっとホラーぽい話です。
主人公の名取裕子は、僧侶の亡霊にたぐり寄せられていますからね。かといって、その僧の亡霊が名取裕子に憑依するというわけでもありません。






ところで、本作品は名取裕子にとって六本目のヌード作品でもあります。この映画の翌年(1994年)に公開の「マークスの山」が名取裕子の最後のヌード作品ということになります。
名取裕子、若い時期の最初の頃はヌードにもなりそうもない清純派女優でした。
名取裕子が初ヌードになったのは1984年の「序の舞」(東映)からです。その時は名取裕子は27歳でした。
1976年にデビューしてから8年目にしての初ヌードでした。
それからはいろんな映画で脱ぎまくっています。
この「KOYA」の封切り時は、名取裕子は36歳になっていました。
当時は名取裕子のヌードも、そろそろ飽きたかなと感じていた頃でしたが・・この映画ポスターの名取裕子が赤い襦袢はだけて喘ぐ写真はそんなことを払拭するほど、そそられるものがあったので、上映していた劇場をくぐりました。





当時、リアルタイムで見た印象としては名取裕子、もっとおっぱい見せてたような記憶がありましたが・・・
今回何年かぶりかでDVDリリースされたのを見ると、そうでもなかったなという感じでした。
でも、名取裕子のようなお艶っぽいお姉さんが、こんな風に着物をはだけて、おっぱいポロンさせて迫られたら、男はイチコロですよ。
この頃の名取裕子なら、まだおばさんという感じはないでしよう。今、現在は、すっかり・・・ですけどね。
これで、煩悩をかなぐり捨てて、はねのけられる男、例えそれが修行中の僧でもあっても、いる筈がありません。
もし、いたらよほどの堅物か性的不能者のどちらかでしょう。それとも、もっとピチピチした若い娘の方という贅沢な奴とかね・・
当然、この映画で煩悩に負けた僧・澄賢を演じる隆大介も、名取裕子のおっぱいを触りまくっています。
でも、澄賢は名取裕子演じる遊女を守ろうともせずに、置き去りにして一人で逃げ出してしまう、実に情けない奴です。





その後、澄賢は自殺を試みるも死に切れず、橋のたもとに引っかかって助けを求めたとあります。本当に死ぬ気なら、助けなど求めないでしようね。
この澄賢という男は実にだらしない男です。でも、そのだらしなさが人間らしいとも言えます。
元々、人はそんなには強くはありませんからね。
煩悩に負けてしまうのもいた仕方ないとこですよ。
しかし、澄賢と離れて一人残された遊女(名取裕子)がその後どうなったかを説明してくれるシーンはありませんでした。
逃げた澄賢という僧は、五十年後、再び高野山に上がり、かつての親友の僧と再会し、その後に澄賢房覚え書なる書物を残したとあります。
再び、澄賢が高野山に戻ったのは70過ぎの老齢なのに、亡霊となって出てくるのは若い時に戻っているのは、いささか疑問です。
若くして死んだというならまだしも・・・70歳過ぎて亡くなっているのですから、澄賢が亡霊として出てくるのなら、70過ぎの老人で出て来ないと不自然ですけどね。死んだら、亡くなった年齢より若返って現世に蘇る、なんて・・そこはいかにも映画という架空に作られた世界を感じます。
ただ、それは作家・井上靖が書いた原作の小説で、澄賢という僧が実在したどうかは、今のところはよく判りません。






名取裕子、若い時期の最初の頃はヌードにもなりそうもない清純派女優でした。
名取裕子が初ヌードになったのは1984年の「序の舞」(東映)からです。その時は名取裕子は27歳でした。
1976年にデビューしてから8年目にしての初ヌードでした。
それからはいろんな映画で脱ぎまくっています。
この「KOYA」の封切り時は、名取裕子は36歳になっていました。
当時は名取裕子のヌードも、そろそろ飽きたかなと感じていた頃でしたが・・この映画ポスターの名取裕子が赤い襦袢はだけて喘ぐ写真はそんなことを払拭するほど、そそられるものがあったので、上映していた劇場をくぐりました。






当時、リアルタイムで見た印象としては名取裕子、もっとおっぱい見せてたような記憶がありましたが・・・
今回何年かぶりかでDVDリリースされたのを見ると、そうでもなかったなという感じでした。
でも、名取裕子のようなお艶っぽいお姉さんが、こんな風に着物をはだけて、おっぱいポロンさせて迫られたら、男はイチコロですよ。
この頃の名取裕子なら、まだおばさんという感じはないでしよう。今、現在は、すっかり・・・ですけどね。
これで、煩悩をかなぐり捨てて、はねのけられる男、例えそれが修行中の僧でもあっても、いる筈がありません。
もし、いたらよほどの堅物か性的不能者のどちらかでしょう。それとも、もっとピチピチした若い娘の方という贅沢な奴とかね・・
当然、この映画で煩悩に負けた僧・澄賢を演じる隆大介も、名取裕子のおっぱいを触りまくっています。
でも、澄賢は名取裕子演じる遊女を守ろうともせずに、置き去りにして一人で逃げ出してしまう、実に情けない奴です。






その後、澄賢は自殺を試みるも死に切れず、橋のたもとに引っかかって助けを求めたとあります。本当に死ぬ気なら、助けなど求めないでしようね。
この澄賢という男は実にだらしない男です。でも、そのだらしなさが人間らしいとも言えます。
元々、人はそんなには強くはありませんからね。
煩悩に負けてしまうのもいた仕方ないとこですよ。
しかし、澄賢と離れて一人残された遊女(名取裕子)がその後どうなったかを説明してくれるシーンはありませんでした。
逃げた澄賢という僧は、五十年後、再び高野山に上がり、かつての親友の僧と再会し、その後に澄賢房覚え書なる書物を残したとあります。
再び、澄賢が高野山に戻ったのは70過ぎの老齢なのに、亡霊となって出てくるのは若い時に戻っているのは、いささか疑問です。
若くして死んだというならまだしも・・・70歳過ぎて亡くなっているのですから、澄賢が亡霊として出てくるのなら、70過ぎの老人で出て来ないと不自然ですけどね。死んだら、亡くなった年齢より若返って現世に蘇る、なんて・・そこはいかにも映画という架空に作られた世界を感じます。
ただ、それは作家・井上靖が書いた原作の小説で、澄賢という僧が実在したどうかは、今のところはよく判りません。






やはりこの映画、36歳(公開当時)の名取裕子の大きくはないけれどたわわな乳房が、今見直しても充分に魅力的でした。
名取裕子の若い頃にはなかった色気が、この映画で堪能できました。
やはり女優は30過ぎてから、本当の“旬”を迎える気がします。
その名取裕子のヌードだけなく、“煩悩”という男としての永遠のテーマを、しみじみと考えさせられられました。
愛欲に溺れる=堕落と見られがちですが、それは誰しもが持っている欲望のようなものです。

むしろ、好きな女性を守れなかった破戒僧へと堕ちてしまった男の悲しみが、思うようには生きられない人生の辛らつが胸を衝いてくるようでした。
人生には、志半ばで道を踏み外したとしても、いろいろな生き方がある、という含みを感じた映画でした。
★追加ピクチャー、その一(1984年「序の舞」より)





名取裕子の初ヌードは1984年の東映「序の舞」からでした。監督は中島貞夫。公開は1月14日となっていますから、正月第二弾作品でした。
この映画は、名取裕子初主演映画となり、明治時代の女性画家になるまでを描いています。その画塾の師匠の佐藤慶に無理やり関係を迫られるシーンで初乳房を披露します。





名取裕子はこの「序の舞」公開時は、27歳。本作品「KOYA」が36歳ですから、9歳も若い頃のヌードですから、流石に顔も若くて乳房も美しいです。
巨匠・篠山紀信の写真集「激写」でもヌードになっていますが、多分の映画の後に発売されたような気がします。

上、二枚は子供を妊娠したということで、乳輪をわざと黒くメイクしています。私生活では一度も結婚も、子供を産んだ経験もないですからね。
★追加ピクチャー、その二「彩り河」(1984年・松竹)





公開は「序の舞」と同じ年の1984年ですが、「彩り河」は4月14日公開なので、この作品の方が後になります。
原作・松本清張。監督・三村晴彦。真田広之とのW主演で名取裕子は銀座のクラブのママを演じています。怪優・三国連太郎に股間をペンライトでまさぐられますが、布団の中なのでよくわかりません。

真田広之とのラブシーンは暗室の中なので、映像では真っ暗で、はっきりと見えていません。この映画も公開時に新宿松竹で見ていますが、映画館では名取裕子の乳房は、もっとはっきりと見えていた記憶があります。
明度を最大に上げないことには何も見えないので、それをしたことにより、この映画の名取裕子のヌードキャプ画像は思い切り荒れてしまいました。
その他にも、名取裕子がヌードになっている映画作品は・・
「時代屋の女房2」1985年松竹
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名取裕子の若い頃にはなかった色気が、この映画で堪能できました。
やはり女優は30過ぎてから、本当の“旬”を迎える気がします。
その名取裕子のヌードだけなく、“煩悩”という男としての永遠のテーマを、しみじみと考えさせられられました。
愛欲に溺れる=堕落と見られがちですが、それは誰しもが持っている欲望のようなものです。


むしろ、好きな女性を守れなかった破戒僧へと堕ちてしまった男の悲しみが、思うようには生きられない人生の辛らつが胸を衝いてくるようでした。
人生には、志半ばで道を踏み外したとしても、いろいろな生き方がある、という含みを感じた映画でした。
★追加ピクチャー、その一(1984年「序の舞」より)






名取裕子の初ヌードは1984年の東映「序の舞」からでした。監督は中島貞夫。公開は1月14日となっていますから、正月第二弾作品でした。
この映画は、名取裕子初主演映画となり、明治時代の女性画家になるまでを描いています。その画塾の師匠の佐藤慶に無理やり関係を迫られるシーンで初乳房を披露します。






名取裕子はこの「序の舞」公開時は、27歳。本作品「KOYA」が36歳ですから、9歳も若い頃のヌードですから、流石に顔も若くて乳房も美しいです。
巨匠・篠山紀信の写真集「激写」でもヌードになっていますが、多分の映画の後に発売されたような気がします。


上、二枚は子供を妊娠したということで、乳輪をわざと黒くメイクしています。私生活では一度も結婚も、子供を産んだ経験もないですからね。
★追加ピクチャー、その二「彩り河」(1984年・松竹)






公開は「序の舞」と同じ年の1984年ですが、「彩り河」は4月14日公開なので、この作品の方が後になります。
原作・松本清張。監督・三村晴彦。真田広之とのW主演で名取裕子は銀座のクラブのママを演じています。怪優・三国連太郎に股間をペンライトでまさぐられますが、布団の中なのでよくわかりません。


真田広之とのラブシーンは暗室の中なので、映像では真っ暗で、はっきりと見えていません。この映画も公開時に新宿松竹で見ていますが、映画館では名取裕子の乳房は、もっとはっきりと見えていた記憶があります。
明度を最大に上げないことには何も見えないので、それをしたことにより、この映画の名取裕子のヌードキャプ画像は思い切り荒れてしまいました。
その他にも、名取裕子がヌードになっている映画作品は・・
「時代屋の女房2」1985年松竹
「吉原炎上」1987年東映
「異人たちとの夏」1988年松竹 (風間杜夫との激しい濡れ場がありましたが、乳房は見えていなかったような記憶があります)
「マドンナのごとく」1990年東映
「マークスの山」1995年松竹
などがありますが、「時代屋の女房2」、「マドンナのごとく」、「マークスの山」はまだDVD化されていません。
「マークスの山」は、CSで放送されていますので、そのうちアップするかもしれません。
などがありますが、「時代屋の女房2」、「マドンナのごとく」、「マークスの山」はまだDVD化されていません。
「マークスの山」は、CSで放送されていますので、そのうちアップするかもしれません。
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by. 名無し
そういや、乳癌を題材にした二時間ドラまでも脱いでましたよね?濡れ場じゃないですが、あのシーンはボディダブルでしたっけ?
2013.12.19
(14:47)
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EDIT
いや、見た憶えがないです by. じんのすけ
> そういや、乳癌を題材にした二時間ドラまでも脱いでましたよね?濡れ場じゃないですが、あのシーンはボディダブルでしたっけ?
名取裕子は、いろいろな作品で脱いでいますからね・・そのテレビドラマまでは見た記憶はありません。
金八先生の第一シリーズの頃のマドンナ的先生を演じていた頃は、まさか脱ぐなんて想像もできませんでしたけどね。
名取裕子は、いろいろな作品で脱いでいますからね・・そのテレビドラマまでは見た記憶はありません。
金八先生の第一シリーズの頃のマドンナ的先生を演じていた頃は、まさか脱ぐなんて想像もできませんでしたけどね。
2013.12.19
(19:48)
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好みの女優さんです by. ニシキ
「KOYA~澄賢房覚え書~」は、最近DMMの動画配信で見ました。この作品で名取裕子は胸を見せていますが、「異星人たちとの夏」では確かに胸は見せていませんでしたね。その代わり裸で横たわった名取裕子をバックから撮ったシーンで、その美しいお尻にかなりそそられました。個人的に好きな女優さんですが、「吉原炎上」などいろいろな作品でヌードを披露されているので、男としてはうれしいですね。
2014.08.25
(22:06)
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EDIT
名取裕子は、自分の若かりし頃の名花と呼べる女優です by. じんのすけ
> 「KOYA~澄賢房覚え書~」は、最近DMMの動画配信で見ました。この作品で名取裕子は胸を見せていますが、「異星人たちとの夏」では確かに胸は見せていませんでしたね。その代わり裸で横たわった名取裕子をバックから撮ったシーンで、その美しいお尻にかなりそそられました。個人的に好きな女優さんですが、「吉原炎上」などいろいろな作品でヌードを披露されているので、男としてはうれしいですね。
「異人たちの夏」は作品として大好きな作品です。特に自分のように親不幸ばかりしてきた者にとっては、あの風間杜夫の父と母の別れのすき焼きのシーンは泣けて仕方なかったです。
ニシキさんの今回のコメントで刺激されちやいましたので、その「異人たちの夏」を日本映画の名作シリーズとして取り上げたくなりました。
そうですね、名取裕子は松坂慶子と同じ芝居はそんなに上手くない女優さんでしたが、裸になるとすごいエロチズムを発揮して、違う意味での昭和の名花的な女優さんだと思います。
いろいろな映画で名取裕子は脱いでますが、東映の正月映画として公開された「マドンナのごとく」での加藤雅也との別途シーンがあったのですが、それはまだDVD化されてません。
“おっぱい評論家”の私としましては、どうしても名取裕子のそんな大きくはないけど形のいい胸ばかりに目がいきますけど、お尻に注目されるとは・・・
ニシキさん、流石っスね!(by市川カニ蔵)です。
「異人たちの夏」は作品として大好きな作品です。特に自分のように親不幸ばかりしてきた者にとっては、あの風間杜夫の父と母の別れのすき焼きのシーンは泣けて仕方なかったです。
ニシキさんの今回のコメントで刺激されちやいましたので、その「異人たちの夏」を日本映画の名作シリーズとして取り上げたくなりました。
そうですね、名取裕子は松坂慶子と同じ芝居はそんなに上手くない女優さんでしたが、裸になるとすごいエロチズムを発揮して、違う意味での昭和の名花的な女優さんだと思います。
いろいろな映画で名取裕子は脱いでますが、東映の正月映画として公開された「マドンナのごとく」での加藤雅也との別途シーンがあったのですが、それはまだDVD化されてません。
“おっぱい評論家”の私としましては、どうしても名取裕子のそんな大きくはないけど形のいい胸ばかりに目がいきますけど、お尻に注目されるとは・・・
ニシキさん、流石っスね!(by市川カニ蔵)です。
2014.08.25
(22:39)
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EDIT
名作ですね! by. ニシキ
先日「序の舞」を観ました。名取裕子の初ヌードはもちろん素晴らしかったですが、それ以上に画家を夢見る少女の健気な気持ちが、ひしひしと伝わってきて感動しました。
2014.09.09
(17:40)
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EDIT
う~ん、どうでしょう・・・・ by. じんのすけ
> 先日「序の舞」を観ました。名取裕子の初ヌードはもちろん素晴らしかったですが、それ以上に画家を夢見る少女の健気な気持ちが、ひしひしと伝わってきて感動しました。
確かに「序の舞」は名取裕子の初ヌード映画として公開当時は話題にはなりましたが、そんなにニシキさんが名作と言われるほどの評価が高かった作品ではないですね。
松坂慶子は脱いで初めて女優と認められましたが、名取裕子に限ってはいろんな作品で脱いだ割には、悪名高き(?)日本アカデミー賞の優秀女優賞のノミネートすらないと思いますので、実に対照的です。
松坂慶子は、何よりも「蒲田行進曲」という、その年の映画賞を独占した作品の主演女優で、そんなに上手い芝居をしたというよりも、役になり切って、見ている者の心を打ちました。
作品に恵まれるかどうかで、その女優の評価も変わってるといういい見本で、名取裕子は五社英雄とかの監督に恵まれましたが、その作品が作品賞を取るほどではなかったのが、彼女の不運とも言えるでしょうね。
名取裕子は38歳の時の「マークスの山」が最後のヌード作品になるかもしれません。50代半ばを過ぎて、ヌードになることは、もうないでしょうね。
確かに「序の舞」は名取裕子の初ヌード映画として公開当時は話題にはなりましたが、そんなにニシキさんが名作と言われるほどの評価が高かった作品ではないですね。
松坂慶子は脱いで初めて女優と認められましたが、名取裕子に限ってはいろんな作品で脱いだ割には、悪名高き(?)日本アカデミー賞の優秀女優賞のノミネートすらないと思いますので、実に対照的です。
松坂慶子は、何よりも「蒲田行進曲」という、その年の映画賞を独占した作品の主演女優で、そんなに上手い芝居をしたというよりも、役になり切って、見ている者の心を打ちました。
作品に恵まれるかどうかで、その女優の評価も変わってるといういい見本で、名取裕子は五社英雄とかの監督に恵まれましたが、その作品が作品賞を取るほどではなかったのが、彼女の不運とも言えるでしょうね。
名取裕子は38歳の時の「マークスの山」が最後のヌード作品になるかもしれません。50代半ばを過ぎて、ヌードになることは、もうないでしょうね。
2014.09.09
(18:41)
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