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終の信託
2013/04/19
14:09/Fri


それは殺人か、それとも愛か!?
ふたりをつないだ信頼と絆
裁かれるのは、一体何だ!?


今回は久々の新作映画で周防正行が放つ問題作「終の信託」です。
監督・周防正行。主演・草刈民代。共演は「Shall we Dance?」以来16年ぶりの共演となる役所公司。浅野忠信。大沢たかお。






今回の作品は、四十代後半の女医が恋人との愛を失った時に、ある喘息の患者と出会い、その男に“その時が来たら楽にしてほしい”と懇願され、願い通りに実行してしまったために告発されるというストーリーです。
終末医療で問題視されている、“尊厳死、または安楽死”という実に重くもあり、我々の身近にありそうな医療の現場を鋭くえぐった、周防正行の渾身の衝撃作でもありました。
今回は、その監督の奥さんでもある主演女優・草刈民代のベツトシーンもありますが・・ヌードを売り物にする映画ではありません。
それでは、興味のある方は、下の追記を読む、からご覧下さい。
2012年10月27日 公開
監督・脚本:周防正行
原作:朔立木
製作:亀山千広
企画:小川泰、市川南、小形雄二
プロデューサー:土屋健、稲葉直人、土本貴生、堀川慎太郎
音楽:周防義和
エンディング曲:種ともこ「遠く、そして近く」
挿入曲:キリ・テ・カナワ「私のお父さん」
撮影:寺田緑郎
照明:長田達也
美術:磯田典宏
録音:郡弘道
編集:菊池純一
製作:フジテレビジョン、東宝、アルタミラピクチャーズ
製作プロダクション:アルタミラピクチャーズ
配給:東宝
CAST
折井綾乃 - 草刈民代
江木秦三 - 役所広司
高井則之 - 浅野忠信
塚原透 - 大沢たかお
杉田正一 - 細田よしひこ
江木陽子 - 中村久美
2時間22分 ビスタサイズ
○予告編
ストーリー
平成16年。ある海岸沿いの道に花を持ってやってきた四十代後半の女性がいました。
その女性はかつて大きな病院の内科医師で、その場所はある男から最期を託された“終の信託”の地だったのです。
その女医・折井綾乃は検察に呼び出されて来ました。彼女の担当検事の塚原は、まだ時間前だったので、待合室に彼女を待たせます。
待たされている間、折井は三年前のある事件を思い出していました。
その三年前の平成13年。折井綾乃は天音中央病院の消火器内科のエリートい師で患者からも評判がいい先生でした。
その時に受け持っていた患者が長年に渡って喘息の持病を患っていた江木泰三でした。
彼女には長年、不倫関係にあった同僚医師の高井がいました。
夜、病院の一室でひと仕事終えた折井に後ろから抱きついてくる男がいました。





それは恋人の高井医師でした。折井と高井はそのまま空きベットで抱き合い、お互いに裸になり、そこでいつものセックスをしました。行為が終わると、折井は・・
折井 ホノルルの学会、来週でしょ。
高井 来れば。
折井 無理だと判っているくせに。せめて見送りに行こうか。
高井 やめてくれよ。誰かに見られたら、どうすんだよ。
二人の関係は病院内でも秘密の関係でした。
しかし、折井はこっそりと高いには内緒で空港まで彼を見送りに行きました。彼女が空港で高井を見つけ、立ち上がろうとすると・・・
若い女性が高井のもとにやってきました。その光景を目の当たりにした折医はショックを受けます。
高井がホノルルから帰ってきた時に、折井はホノルルに発つ前、空港で待ち合わせしていた女性のことを高井に問い詰めました。





折井 誰・・奥さんじゃないでしょ。
高井 結婚するなんて言ったっけ。
その高井の言葉に折井は愕然とします。いわゆる折井は高井にとって遊びの女でしかなかったのです。
その時、当直だった折井は別の同僚医師からアルコールをもらい、当直室で睡眠薬を口に入れてすぐに、そのもらったアルコールで流し込んでしまいます。
しばらくすると折井は苦しみ出して、他の医師の治療を受けました。
一夜明けで目を醒ました時に、高井が来ていました。
高井 嫌がらせ?ひどい女だね。だいたい睡眠薬で死ねないことぐらい誰だって判っているだろ。
何、俺を病院から追い出したかったの。そんなことしなくても俺、大学に戻ることになつてたんだ。こんなみっともないことして。
そう言って高井は折井から去っていきました。





しばらくして元気になった折医は再び勤務に戻りました。その時、患者の江木からオペラの一枚のCDを渡されます。
折井は言えに帰って、江木からもらったCDを聴くと、涙が流れてきました。長年の恋人と別れた直後だったので、その音楽は彼女の傷ついた心に染みてきたのです。
そのことがキッカケで折井は患者の江木と親密になり、彼の子供の頃の身の上話を聞かされ、しだいに江木に惹かれていきました。
やがて、江木が一時退院する時が来ました。退院といっても完治したわけではありません。それは一時的なもので、通院という形で折井の病院に通うことになります。
ある日、折井は往診に出かけた帰り、偶然に江木と会いました。そこでいろいろと話をし、車の中で江木は折井にあるお願いをします。
“その時が来たら楽にして下さい”。それは自分が意識を失い終末医療になつた時の、江木の“終の信託”なのでした。
やがて、その江木の願いを実行するときがやって来て・・その三年後、折井は患者を殺した罪で告発されてしまうのでした・・・





ストーリーの紹介は以上です。
この映画、何度も繰り返し見ました。終末医療における患者の“尊厳死および安楽死”についての実に重いテーマです。
その生前、患者がまだ元気だった頃に、いずれ手の施しようがなく、寝たきりの状態で死が近づいた時に、“その時が来たら、楽にして下さい”とお願いされるわけです。
その患者の願い通り実行した医師は三年後に殺人罪として告発されてしまいます。
この作品は、患者から託された“終の信託”の実行は、果たして医療か殺人か、その是非を問うた問題作でした。





ただ、今回の映画で描かれる終末医療は喘息です。癌のように余命を宣告されたわけではないのです。
しかし、最後の方はその患者は自分で呼吸することはできず、意識は混濁して、チューブにつながれたままのいわば植物人間状態です。
治る見込みは全くなく、治療費もかさみ家族の負担もどんどん大きくなっていきます。そのことを心配した当の本人はまだ元気な頃に主治医にそうなった時の延命治療の中止を頼んでいたのです。
それなのに、何故三年も経って、その医師は告発されることになつたのか?





それは、役所公司演じる江木という男の臨終が決して安らかなものではなかったからです。
敢えて、その江木(役所公司)の臨終シーンを画像をキャプるのは止めました。
それを見せてしまうと、多分画像でこの映画を殆ど見てしまったような気分になるだろうと判断したからです。
それでネタバレしちやうのも何ですが、呼吸をつないでいるチューブを抜いただけでは、患者の安らかな死に至っていません。
すぐにもがき苦しんで七転八倒して暴れ出し、医師・折井は鎮静剤を打つという形で、何度も苦しんでいる患者にその薬を投与しています。





映画の中で、そのシーンを見ていたら、これは医療を越えてしまった殺人ではないか、そんな気さえしました。
何より、普通にしていたら、その患者は生きることはできるのです。いくらその患者に頼まれたからと言って、生命維持できているのを一人の医師の独断で止めていいのかという疑問が生じてきました。
その時の処置になった時、患者の役所が苦しむもがくので、草刈医師は何度もある薬品を増量投与し、明らかに“患者を致死させる為の行為”であることは明白なシーンです。
医師側の見解からの、患者の痛みを和らげる為の投与、ならば医療行為と見なされるでしょうけどね・・
但し、静かに眠っている患者に投与して、致死に持っていく為の治療ならば、それは医療というものではありません。





最初、主治医・折井が家族に説明したチューブを抜いて、安らかな死で終わっていたなら、多分家族は三年も経って告発するなんてことはしなかつたでしよう。
余りにも夫であり父親の臨終が壮絶だったからです。
でも、この臨終シーンにリアリティーを感じました。とかく映画やドラマで描かれる臨終シーンなんて、安らかにまるで眠るように、実に都合良すぎる死が多すぎるからです。
13年前、肝硬変で死んだ友人の臨終に立ち会ったことがあります。
その時もこの映画で描かれているように、意識がないのに、苦しみの余り体を何度も反らし看護師の注射の投与で数分後に友人は亡くなりました。
友人の死も苦しみ抜いた壮絶なものでした。
それは明らかに末期治療でしたので、今回のような尊厳死というものではなかったですけどね・・・
そんな友人の死を目の当たりにして、人はそんなに楽には死ねないものなんだということを実感しました。





一番悪いのは、そういうことを主治医に頼んだ役所公司演じた江木という男です。
まだ息のある患者を自らの意志で致死行為をすること自体、医療を離れた問題行為であることは明白です。
そんなことを実際にしてしまったら、その医師は医療の現場から去らなければならなくなります。
現実的にそれが発覚したら、どこの病院でも雇ってはくれないですし、勤務している病院でも大問題になって当然、辞めざるを得ない状況になるのは容易に想像できるでしよう。
いくら、その医師を信頼してるからといって、普通は頼めることではないですよ。





まず当事者の役所演じる江木が家族に頼んで、家族の方から主治医に安楽死をお願いするというのなら、あくまでも家族の意思でもあるから、少なくとも家族からの告発はできなくなると思います。
それをこの映画の役所公司をしていません。担当主治医の草刈民代が、実はご主人からこういうことをお願いされていましたとの奥さんへの事前報告はあります。
しかし、それは直接、夫から聞かされたものではない。これが後に検察で問題にされてしまいます。
まあ、この映画で安楽死を実行してしまった医師は独身だからできたことでしようね。
結婚して子供がいる家庭のある身だったら、とうてい出来ることではありません。そのことで、家庭崩壊になることは目に見えてます。
実際、たまに安楽死の医療事件がニュースで取り立たされていますが、実際どうなのでしようか。





それにしても、今回の映画では主演の草刈民代はしっかりヌードを見せていました。ちゃんとバストトップも見せています。
草刈民代、もう47歳ですから、お世辞にも美しいヌードとは言い難かったですけどね。
何年か前にも、草刈民代のバレリーナポーズでのヘアヌードがありましたが、あれもかなりビミょーでした。
Shall we Dance?の29歳の全盛期の若い頃なら、ヘアヌードは是非とも見たかったですが・・年を取った今となっては・・・何で年を取ってからヌードになったのか疑問です。

ほら、上のキャプ写真を見れば、若い頃の草刈民代と今では、年を取ったのが一目瞭然です。
それと、注目してほしいのは今回の映画で草刈民代は余り化粧をしていません。顔のしわとかもはっきりと出しています。
TOHOのHPの終の信託ページでの舞台挨拶では、草刈民代はガッツリ化粧して、顔のしわもしっかり隠しているのと映画とでは実に対照的でした。
それでは、夫の目の前で仕事で不倫している妻の証拠写真をもう一度。

上の草刈民代の濡れ場シーンを演出しているのが夫、というのですから・・・
いくら仕事とはいえ、別の男が自分の奥さんのおっぱいを吸われているのを目の前にするのは、あくまでも監督という立場で夫ということを忘れたのでしようか。
それに周防監督、折角奥さんがヌードになっているのだから、もっと綺麗に撮ってあげてほしかったです。
これでは、奥さんがおっぱいが小さいのをアピールしただけの・・魅力のない濡れ場シーンにしかなっていません。

確かに命の尊厳死という重いテーマでしたが、それだけに何度も見直したくなる、久々の見応えのある映画でした。
これは人の臨終について、いろいろな意味で考えさせられるテーマの映画です。
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監督・脚本:周防正行
原作:朔立木
製作:亀山千広
企画:小川泰、市川南、小形雄二
プロデューサー:土屋健、稲葉直人、土本貴生、堀川慎太郎
音楽:周防義和
エンディング曲:種ともこ「遠く、そして近く」
挿入曲:キリ・テ・カナワ「私のお父さん」
撮影:寺田緑郎
照明:長田達也
美術:磯田典宏
録音:郡弘道
編集:菊池純一
製作:フジテレビジョン、東宝、アルタミラピクチャーズ
製作プロダクション:アルタミラピクチャーズ
配給:東宝
CAST
折井綾乃 - 草刈民代
江木秦三 - 役所広司
高井則之 - 浅野忠信
塚原透 - 大沢たかお
杉田正一 - 細田よしひこ
江木陽子 - 中村久美
2時間22分 ビスタサイズ
○予告編
ストーリー
平成16年。ある海岸沿いの道に花を持ってやってきた四十代後半の女性がいました。
その女性はかつて大きな病院の内科医師で、その場所はある男から最期を託された“終の信託”の地だったのです。
その女医・折井綾乃は検察に呼び出されて来ました。彼女の担当検事の塚原は、まだ時間前だったので、待合室に彼女を待たせます。
待たされている間、折井は三年前のある事件を思い出していました。
その三年前の平成13年。折井綾乃は天音中央病院の消火器内科のエリートい師で患者からも評判がいい先生でした。
その時に受け持っていた患者が長年に渡って喘息の持病を患っていた江木泰三でした。
彼女には長年、不倫関係にあった同僚医師の高井がいました。
夜、病院の一室でひと仕事終えた折井に後ろから抱きついてくる男がいました。






それは恋人の高井医師でした。折井と高井はそのまま空きベットで抱き合い、お互いに裸になり、そこでいつものセックスをしました。行為が終わると、折井は・・
折井 ホノルルの学会、来週でしょ。
高井 来れば。
折井 無理だと判っているくせに。せめて見送りに行こうか。
高井 やめてくれよ。誰かに見られたら、どうすんだよ。
二人の関係は病院内でも秘密の関係でした。
しかし、折井はこっそりと高いには内緒で空港まで彼を見送りに行きました。彼女が空港で高井を見つけ、立ち上がろうとすると・・・
若い女性が高井のもとにやってきました。その光景を目の当たりにした折医はショックを受けます。
高井がホノルルから帰ってきた時に、折井はホノルルに発つ前、空港で待ち合わせしていた女性のことを高井に問い詰めました。






折井 誰・・奥さんじゃないでしょ。
高井 結婚するなんて言ったっけ。
その高井の言葉に折井は愕然とします。いわゆる折井は高井にとって遊びの女でしかなかったのです。
その時、当直だった折井は別の同僚医師からアルコールをもらい、当直室で睡眠薬を口に入れてすぐに、そのもらったアルコールで流し込んでしまいます。
しばらくすると折井は苦しみ出して、他の医師の治療を受けました。
一夜明けで目を醒ました時に、高井が来ていました。
高井 嫌がらせ?ひどい女だね。だいたい睡眠薬で死ねないことぐらい誰だって判っているだろ。
何、俺を病院から追い出したかったの。そんなことしなくても俺、大学に戻ることになつてたんだ。こんなみっともないことして。
そう言って高井は折井から去っていきました。






しばらくして元気になった折医は再び勤務に戻りました。その時、患者の江木からオペラの一枚のCDを渡されます。
折井は言えに帰って、江木からもらったCDを聴くと、涙が流れてきました。長年の恋人と別れた直後だったので、その音楽は彼女の傷ついた心に染みてきたのです。
そのことがキッカケで折井は患者の江木と親密になり、彼の子供の頃の身の上話を聞かされ、しだいに江木に惹かれていきました。
やがて、江木が一時退院する時が来ました。退院といっても完治したわけではありません。それは一時的なもので、通院という形で折井の病院に通うことになります。
ある日、折井は往診に出かけた帰り、偶然に江木と会いました。そこでいろいろと話をし、車の中で江木は折井にあるお願いをします。
“その時が来たら楽にして下さい”。それは自分が意識を失い終末医療になつた時の、江木の“終の信託”なのでした。
やがて、その江木の願いを実行するときがやって来て・・その三年後、折井は患者を殺した罪で告発されてしまうのでした・・・






ストーリーの紹介は以上です。
この映画、何度も繰り返し見ました。終末医療における患者の“尊厳死および安楽死”についての実に重いテーマです。
その生前、患者がまだ元気だった頃に、いずれ手の施しようがなく、寝たきりの状態で死が近づいた時に、“その時が来たら、楽にして下さい”とお願いされるわけです。
その患者の願い通り実行した医師は三年後に殺人罪として告発されてしまいます。
この作品は、患者から託された“終の信託”の実行は、果たして医療か殺人か、その是非を問うた問題作でした。






ただ、今回の映画で描かれる終末医療は喘息です。癌のように余命を宣告されたわけではないのです。
しかし、最後の方はその患者は自分で呼吸することはできず、意識は混濁して、チューブにつながれたままのいわば植物人間状態です。
治る見込みは全くなく、治療費もかさみ家族の負担もどんどん大きくなっていきます。そのことを心配した当の本人はまだ元気な頃に主治医にそうなった時の延命治療の中止を頼んでいたのです。
それなのに、何故三年も経って、その医師は告発されることになつたのか?






それは、役所公司演じる江木という男の臨終が決して安らかなものではなかったからです。
敢えて、その江木(役所公司)の臨終シーンを画像をキャプるのは止めました。
それを見せてしまうと、多分画像でこの映画を殆ど見てしまったような気分になるだろうと判断したからです。
それでネタバレしちやうのも何ですが、呼吸をつないでいるチューブを抜いただけでは、患者の安らかな死に至っていません。
すぐにもがき苦しんで七転八倒して暴れ出し、医師・折井は鎮静剤を打つという形で、何度も苦しんでいる患者にその薬を投与しています。






映画の中で、そのシーンを見ていたら、これは医療を越えてしまった殺人ではないか、そんな気さえしました。
何より、普通にしていたら、その患者は生きることはできるのです。いくらその患者に頼まれたからと言って、生命維持できているのを一人の医師の独断で止めていいのかという疑問が生じてきました。
その時の処置になった時、患者の役所が苦しむもがくので、草刈医師は何度もある薬品を増量投与し、明らかに“患者を致死させる為の行為”であることは明白なシーンです。
医師側の見解からの、患者の痛みを和らげる為の投与、ならば医療行為と見なされるでしょうけどね・・
但し、静かに眠っている患者に投与して、致死に持っていく為の治療ならば、それは医療というものではありません。






最初、主治医・折井が家族に説明したチューブを抜いて、安らかな死で終わっていたなら、多分家族は三年も経って告発するなんてことはしなかつたでしよう。
余りにも夫であり父親の臨終が壮絶だったからです。
でも、この臨終シーンにリアリティーを感じました。とかく映画やドラマで描かれる臨終シーンなんて、安らかにまるで眠るように、実に都合良すぎる死が多すぎるからです。
13年前、肝硬変で死んだ友人の臨終に立ち会ったことがあります。
その時もこの映画で描かれているように、意識がないのに、苦しみの余り体を何度も反らし看護師の注射の投与で数分後に友人は亡くなりました。
友人の死も苦しみ抜いた壮絶なものでした。
それは明らかに末期治療でしたので、今回のような尊厳死というものではなかったですけどね・・・
そんな友人の死を目の当たりにして、人はそんなに楽には死ねないものなんだということを実感しました。






一番悪いのは、そういうことを主治医に頼んだ役所公司演じた江木という男です。
まだ息のある患者を自らの意志で致死行為をすること自体、医療を離れた問題行為であることは明白です。
そんなことを実際にしてしまったら、その医師は医療の現場から去らなければならなくなります。
現実的にそれが発覚したら、どこの病院でも雇ってはくれないですし、勤務している病院でも大問題になって当然、辞めざるを得ない状況になるのは容易に想像できるでしよう。
いくら、その医師を信頼してるからといって、普通は頼めることではないですよ。






まず当事者の役所演じる江木が家族に頼んで、家族の方から主治医に安楽死をお願いするというのなら、あくまでも家族の意思でもあるから、少なくとも家族からの告発はできなくなると思います。
それをこの映画の役所公司をしていません。担当主治医の草刈民代が、実はご主人からこういうことをお願いされていましたとの奥さんへの事前報告はあります。
しかし、それは直接、夫から聞かされたものではない。これが後に検察で問題にされてしまいます。
まあ、この映画で安楽死を実行してしまった医師は独身だからできたことでしようね。
結婚して子供がいる家庭のある身だったら、とうてい出来ることではありません。そのことで、家庭崩壊になることは目に見えてます。
実際、たまに安楽死の医療事件がニュースで取り立たされていますが、実際どうなのでしようか。






それにしても、今回の映画では主演の草刈民代はしっかりヌードを見せていました。ちゃんとバストトップも見せています。
草刈民代、もう47歳ですから、お世辞にも美しいヌードとは言い難かったですけどね。
何年か前にも、草刈民代のバレリーナポーズでのヘアヌードがありましたが、あれもかなりビミょーでした。
Shall we Dance?の29歳の全盛期の若い頃なら、ヘアヌードは是非とも見たかったですが・・年を取った今となっては・・・何で年を取ってからヌードになったのか疑問です。


ほら、上のキャプ写真を見れば、若い頃の草刈民代と今では、年を取ったのが一目瞭然です。
それと、注目してほしいのは今回の映画で草刈民代は余り化粧をしていません。顔のしわとかもはっきりと出しています。
TOHOのHPの終の信託ページでの舞台挨拶では、草刈民代はガッツリ化粧して、顔のしわもしっかり隠しているのと映画とでは実に対照的でした。
それでは、夫の目の前で仕事で不倫している妻の証拠写真をもう一度。


上の草刈民代の濡れ場シーンを演出しているのが夫、というのですから・・・
いくら仕事とはいえ、別の男が自分の奥さんのおっぱいを吸われているのを目の前にするのは、あくまでも監督という立場で夫ということを忘れたのでしようか。
それに周防監督、折角奥さんがヌードになっているのだから、もっと綺麗に撮ってあげてほしかったです。
これでは、奥さんがおっぱいが小さいのをアピールしただけの・・魅力のない濡れ場シーンにしかなっていません。


確かに命の尊厳死という重いテーマでしたが、それだけに何度も見直したくなる、久々の見応えのある映画でした。
これは人の臨終について、いろいろな意味で考えさせられるテーマの映画です。
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感想 by. 温泉好き@元西巣鴨
テーマに心を動かされ、動揺しているかのような記述に少々驚かされました。
さて私も同様に妻のファックシーンを演出する夫の気持ちが分かりません。例えて言うならば「月光の囁き」の主人公のようなものでしょうか?はっきり言えば夫も妻も変態です。これは差別用語じゃなく、そのありようを言っているだけ。
女性のヌードだけ切り離していえば管理人さんは29歳の全盛期の頃ならばとおっしゃいますがその頃も今もそれほど肉体的に魅力ある女性だと感じていないので逆に言えば今でもそれなりに魅力はあると思います。
さて私も同様に妻のファックシーンを演出する夫の気持ちが分かりません。例えて言うならば「月光の囁き」の主人公のようなものでしょうか?はっきり言えば夫も妻も変態です。これは差別用語じゃなく、そのありようを言っているだけ。
女性のヌードだけ切り離していえば管理人さんは29歳の全盛期の頃ならばとおっしゃいますがその頃も今もそれほど肉体的に魅力ある女性だと感じていないので逆に言えば今でもそれなりに魅力はあると思います。
2013.04.19
(17:29)
|
URL |
EDIT
確かに今回は迷いがあります by. じんのすけ
> テーマに心を動かされ、動揺しているかのような記述に少々驚かされました。
何度も見直すうちに、明らかに主演の草刈民代側の行為を弁明しているのは明確なのに、それを追い詰める検事・大沢たかおの主張も極めて正論にも思えてしまう時があります。
それで混乱している部分が確かにありますね。
> さて私も同様に妻のファックシーンを演出する夫の気持ちが分かりません。例えて言うならば「月光の囁き」の主人公のようなものでしょうか?はっきり言えば夫も妻も変態です。これは差別用語じゃなく、そのありようを言っているだけ。
監督が夫で妻が主演でラブシーン有りという映画はあると思いますが、今回の作品のようにしっかりと奥さんをヌードにしている作品は記憶に余りないですね。
下着つけたままの寸止めでもよかったのに・・何故に、周防正行は奥さんを裸にしたのか、理解しがたいものがありますが、それでも見れてよかっだす。
> 女性のヌードだけ切り離していえば管理人さんは29歳の全盛期の頃ならばとおっしゃいますがその頃も今もそれほど肉体的に魅力ある女性だと感じていないので逆に言えば今でもそれなりに魅力はあると思います。
確かに肉体的な魅力は若い時も今も変わらないかもしれませんが、現在の年を取った草刈民代の顔のシワ、更にはヘアヌードになった写真で見られた腰のシワがすごく気になります。
若い頃は、そんなシワもなかったでしょうからね。
それに、前回アップした横須賀よしみについては、胸の大きさ的には草刈民代と同タイプですが、若い頃のヌードには魅力を感じますが、年を取ってからの横須賀よしみの裸にはとてもいいとは感じません。
何度も見直すうちに、明らかに主演の草刈民代側の行為を弁明しているのは明確なのに、それを追い詰める検事・大沢たかおの主張も極めて正論にも思えてしまう時があります。
それで混乱している部分が確かにありますね。
> さて私も同様に妻のファックシーンを演出する夫の気持ちが分かりません。例えて言うならば「月光の囁き」の主人公のようなものでしょうか?はっきり言えば夫も妻も変態です。これは差別用語じゃなく、そのありようを言っているだけ。
監督が夫で妻が主演でラブシーン有りという映画はあると思いますが、今回の作品のようにしっかりと奥さんをヌードにしている作品は記憶に余りないですね。
下着つけたままの寸止めでもよかったのに・・何故に、周防正行は奥さんを裸にしたのか、理解しがたいものがありますが、それでも見れてよかっだす。
> 女性のヌードだけ切り離していえば管理人さんは29歳の全盛期の頃ならばとおっしゃいますがその頃も今もそれほど肉体的に魅力ある女性だと感じていないので逆に言えば今でもそれなりに魅力はあると思います。
確かに肉体的な魅力は若い時も今も変わらないかもしれませんが、現在の年を取った草刈民代の顔のシワ、更にはヘアヌードになった写真で見られた腰のシワがすごく気になります。
若い頃は、そんなシワもなかったでしょうからね。
それに、前回アップした横須賀よしみについては、胸の大きさ的には草刈民代と同タイプですが、若い頃のヌードには魅力を感じますが、年を取ってからの横須賀よしみの裸にはとてもいいとは感じません。
2013.04.19
(20:08)
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