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余命1ヶ月の花嫁・後編 "終わらない、明日"
太郎ちゃん。
千恵は太郎ちゃんに出会えて・・・
幸せでした。
さて、感動の後編に突入です。
千恵は、おっぱいを失った代わりに、太郎という宝物を再び取り戻すことができました。
それは千恵にとって、どんな高価な宝石にも敵わない、生涯で最高の宝物です。
知恵は、一人で生きていくつもりでいました。だけど、太郎は千恵を一人にはしなかった。
ある意味、千恵は無意識のうちに太郎にサインを送っていたのだと思います。
自分を追いかけてきてほしい、と・・・
後半のストーリーの詳細な紹介はやめます!
前半、台詞を交えて余りにも詳しく紹介してしまいましたから、後半もその調子で紹介すると、この映画を見ていない人も何だか、見てしまった気分になるでしょう。
後半は乳房を切除したにも拘らず、ガンが他に転移して手の施し様がない状態になっていた、というよくある展開です。
後半ストーリーを紹介しないと言いつつ、物語部分に触れていますので、ストーリーを小分けしただけかもしれませんね。
この映画に関しては、二度目に見た時の方が感動しました。
それは、主人公たちに感情移入してしまっているからでしょうね。
ラストのネタバレはしない、といってもタイトルそのものがネタバレ的なものですからね。
タイトルだけで、主人公の女の子がどんな運命を辿るか、わかっちゃいますからね。
写真でわかっちゃうかもしれないけれど、結婚式がラストーンではないです。千恵の最期の臨終の写真は使いません。
余命一ヶ月、としといて、実はまだ生きていますみたいなオチには絶対にならない、ですし・・・
だから、後編は感想のみに止めておきます。結婚式での千恵に起きたサプライズのネタバレはしない方がいいかな、と思いましたので。
それはストーリー的には小さなサプライズですが、千恵にとってはものすごく嬉しいものです。
太郎はそのアイテムを求めて、雨の中をズブ濡れになって奔走します。しっかり、゛青春映画゛してます。
まあ、言わせてもらえれば、男は好きな女の子の好きなアイテムぐらい、心のハードディスクに常時保存してますよ。
それが忘れたとか消去されたなんてのは、気持ちが変わったという証拠でしよう。
まあ、長年連れ添うと、そういうことが起こりうるみたいですけどね。
千恵って女の子は、心もかわいい女の子ですね。
ちゃんと太郎の仕事での立場や、太郎の将来も考えている。
だけど、太郎の気持ちまでは考えている余裕はないようです。
自分はもうすぐ、この世から消える存在だから、将来太郎を好きになるかもしれない彼女のために、ウェデングドレス写真は自分一人でいい、と淋しいことを太郎に言います。
千恵は、太郎をバツイチにしたくない、ようです。
でも、これって、男の気持ちをバカにしてますよ。
男ってのは、実に愚かな生き物、だと思います。
男は、好きな女の子の為なら、自分の身はいくらでも削れます。
それが出来ない男は、それだけの気持ちがない、ってことではないでしようか。
凄い極端なことを言っているのは、自分でもわかりますが、この映画の太郎はまさにそれが当てはまっているような気がします。
だから、太郎の千恵に対する愛情は、引くに引けない男の気持ち、なんです。
それに、この物語は架空の創作の物語ではなく、実在しててますしね。
映画の途中で、太郎の父親(大杉蓮)が、゛お前はいつか彼女を支えきれなくなる。それで辛い思いをするのは彼女だぞ゛と厳しい苦言を呈されるシーンがあります。
それは当っているようで、実は間違っているようにも思います。
それに、親に言われたぐらいで彼女の元を去る奴だったら、そいつ男じゃない!
男だったら、意地を張れ!それが男だ!
すいません。必要以上に熱くなってしまってます。
結局、太郎の父親の苦言は、全くの逆効果で、太郎にとっては、火に油を注がれたようなものです。
だから、自分の父親にそんなお説教食らった太郎は、更にムキになって病院に泊まり込みで、そこから会社通勤、という荒技に出ますからね。
思わず、太郎ちゃん、えらい!っと言ってしまいそうになります。
太郎は千恵のそばにいて、いろいろとやっていることで、彼の精神の均衡が保たれているような気がします。
もし、それが自分の生活だけになって、ただ電話等で千恵の様子を聞く程度で何もできない状態だつたら・・彼は逆に壊れていったかもしれません。
それは太郎が千恵にそばにいることで、彼の生きる力になっているように思えるからです。
かなり、この映画に入り込み過ぎて、感想とはかけ離れたものになりましたね。
でも、どれだけその映画に感情移入できるか、それが映画の見方を変える場合もあります。
実は、見る前はこんなベタベタ感動映画は、それほど期待もしていなかったんですよ。
まさかこんなに、どっぷりとハマるとは予想外でした。
映画って、ホント見てみないことには、わからないものですね。
乳がんは女性特有の最近流行りだした現代病のようですね。
それは、健康な人間にとってはまさに゛人ごと゛です。
ただ、自分たちは知らないところで体の内部が破損し始めていて、それに気付かないだけ、なのかもしれません。
そう考えると、死は遠い将来にあるようで、実は背中合わせにある、ような気もしてきます。
健康であること。それが何よりも生きていく上での゛かけがえのない財産゛なのに、いつしかそんなものは当たり前過ぎて、日常において意識すらしませんよね。
病気になって改めて分かる、゛健康である有り難味゛とは、よく言ったものですね。
この映画の長島千恵さんのメッセージである。明日が来るということは、何でもないようことが実は、素晴らしいことなんだと改めて気付かされました。
もっと早く検診を受けていたなら、゛その素晴らしい明日゛はまだ続いていたのに・・・
恐らく、ガンで亡くなっていった人の多くの無念が、その言葉に集約されているような気がします。
大事な人を失った時は、誰しもが辛いです。個人的なことですが、僕も去年妹を病気で失いました。
その時、さだまさしの「防人(さきもり)の詩」の第三小節がふと頭に浮かんできました。
欠けていく月もやがて満ちて来る
なりわいの中で。
その゛月゛という言葉は人の気持ちを現しているように思えます。
人は、悲しいことがあったからといって、ずっと泣いて過ごすわけにはいきません。心の欠けた部分は、時間がゆっくりと修復してくれます。
それは以前、当ブログの「二百三高地」にも同じことを書いたような気もしますが・・・ 書いたことはすぐに忘れてしまいます。
音楽は、JUJU with JAY'EDの『明日がくるなら』よりも、むしろテーマ曲使われている映画音楽の名曲で名高い、ベット・ミドラーの『The ROSE』が、かなりヤバイですっ!
その曲、バラードですから、千恵の心情と重なって見ている者の心にジワッと広がって、ウルウルモードにスイッチ・オン!です。
昔、宮崎駿の「おもいでぽろぽろ」で、その曲を使用した、都はるみの和訳の主題歌がありました。
愛は花。命の花。
君はその種子(たね)
とにかく、映画は見て見ないことには、いいか悪いかなんて判りません。
感動物は食わず嫌い、という方もいるでしょうが、たまには自分の不得意分野を開拓してみてはいかがでしようか。
不遜な言い方になるけど、長島千恵さんの短い生涯は、決して不幸なだけの人生ではなかったような気がします。
短い間だっただろうけれど、一人の男の一途で献身的な一生分の愛を注がれて、それを全して旅立たれていかれましたしね。
例え、その身は白い粉と変わり果てようとも、あなたが遺したもの、はずっと未来永劫消えることなく、あなたの好きだった人たちの中で生き続けるはずですから・・
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